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執筆者の写真島先 克臣

『わが故郷、天にあらず』

更新日:2023年12月25日




「百万人の福音」の好評連載「この世界でシッカリ生きるということ」の完訳が遂に登場!

アート、政治、仕事、遊び、文化…生活のあらゆる側面で、クリスチャンはどう生きるべきか?聖書的世界観を軸に、神の像に造られた人間の本当の在り方を、息をのむような美しい描写と陽気なウィットで明快に語る。この世での生き方を問うすべてのクリスチャンに贈る、導きと励ましの一冊。  (帯より)

いのちのことば社編集者のコメント

 これまで、聖書的観点からファッション、料理、芸術、仕事政治、文学に切り込んでいった本は、(私の記憶が正しければ)決して多くはなかったのではないでしょうか?  著者は地質学者というバックグラウンドを持ちながらも、食を愛し、芸術を愛し、政治にも積極的に関わることによって、神の造られたこの「よき」世界を、地の塩・世の光として生きることを追及し、国際的にも高い評価を得るポール・マーシャル。創造主なる神のかたちに似せて造られた人間なら、神と同じようにクリエイティブなはず! だったらもっとクリエイティブに生きようぜ! と、創世記から黙示録までの壮大なドラマを軸に、その聖書的根拠を誰にでもわかりやすく説明しています。ベテランクリスチャンもキリスト教ビギナーも、一読すれば、毎日の生活がきっと楽しくなる一冊です。ぜひ、ご一読を。(編集・こだま)

J・I・パッカーによる推薦文

 ビートルズの学友だった著者は、聖書を片手に、一信徒として、遊び心を持って、今日神の世界を覆う悪と狂気のなかから、読者をあらゆる良きものによる祝宴の場に導く。この本は、(本のタイトルが語るように)刺激的で、陽気なウイットに富み、息をのむような美しい描写があふれ、罪と恵み、労働と遊び、休息とファッション、偶像礼拝に現代技術、そしてその他多くの課題に触れ、私たちを導いてくれる。多くの疲れた魂が、この本によって励まされ、癒される事を保証する。


著者紹介

 国際的に高く評価されているポール・マーシャルは、宗教的迫害については世界を代表する学者の一人だ。著書の『彼らの血は叫んでいる』は、世界中の宗教的迫害を調査してベストセラーとなり、賞も受けた。それを含めて十九冊の本を執筆編集している。マーシャルは、フリーダムAフラ−神学校、そしてキリスト教学術研究所の非常勤講師でもある。ワシントンD.C.在住。


目次

第一部 世への恐れ   1 退屈な福音?

第二部 世にある立場

  2 神の造られたこの世界と私たちの責任

  3 罪との闘い

  4 贖いと人の生き方

第三部 世への応答   5 学ぶすばらしさ   6 仕事とは   7 なぜ休めないのか   8 遊びの精神   9 自然界

第四部 世にある務め   10 政治的責任   11 イマジネーションと芸術   12 テクノロジーにおける自由と責任 第五部 世への希望   13 礼拝か偶像礼拝か

     14 伝道、新しい生き方への招き      15 耐え忍ぶ      16 新しい創造      17 時のはざまで(今を生きる)


一部抜き出し「第八章 遊びの精神」より

スコットランド西海岸にあるムル島。その西はずれにブネッサン村がある。ほとんどの観光客は、急ぎ足で別のフェリーに乗り換えて、古代の修道院とケルト人のキリスト教文化を訪ねてイオナ島に向かう。 しかし、私たちの地理学のクラスは、多くの人にとって中継地にすぎないここムル島に滞在した。ムルの山々を登り、ハンマーで岩を叩いて日中を過し、夕方にはブネッサン・アーム・インという宿に戻って夕食を取り、仲間としゃべって夜を過し、疲れてベッドに入る、という毎日だった。

ある夜のこと、宿の食堂のウエイトレスが「地元の少年たちが一緒にサッカーをしないかと尋ねている」と伝えに来た。もちろん歓迎。そこで翌夕試合と決まった。教授には「明日は試合があるのでお手柔らかに」と交渉したのだがダメだった。次の日、きつい調査の仕事を終えてへとへとになって帰ってきた私たちは、夕食もそこそこに、曲がりくねった岩道をドライブして村の後ろにある丘に向かった。

着いてみて驚いた。「地元の少年たち」というのは村のサッカー・チームだったのだ。ユニフォームに身を固めたチームには村の警官や消防隊員もいた。一日の仕事を終えてへとへとの私たちには、しりごみしたくなるような大柄のスコットランド人だった。さらにショックだったのは、村人のほとんどが観戦に来ていたことだ。コートの両側には二百人もの観客が歓声を上げていた。

そして、もう一つ驚いたことがある。それはグランドの傾斜だ。ムル島は岩だらけの島なので、いったい村にはサッカーができるような平地がどこにあるのかと、実は日中疑問に思っていたのだが、答えは簡単。「ない」のである。グランドは東に向かって傾斜し、表面はいくらか波状にうねり、そして一カ所大きな岩の頭が突き出ていた。

太陽はもう沈みかけていたので、短い試合だろうと思っていた。しかしこの淡い期待は、すぐに消え失せた。グランド脇の車が全てグランドに向かって駐車してあったのだ。実際村人は、まもなく車のエンジンをつけ、ヘッドライトのスイッチを入れた。こちらは十人しかいないので、そのままで試合が始まった。

その夜は無茶苦茶で、しかも不思議な夜だった。無茶苦茶といった理由の一つは、車のヘッドライトが地上八十センチのところで真横に光るので、プレイヤー全員の影がグランド中に伸びていたことだ。そのため、右にいるメンバーにボールをパスしないよう注意しなければならなかった。パスされたボールを取ろうとすると、その人はまっすぐヘッドライトを見つめる格好になり、何も見えなくなってしまうからだ。実際、ボールは太陽から突然飛び出してくるように見えた。

試合が進み、地元の「少年たち」にコテンパンにやられていくうちに、グランド中央の岩にボールをバウンスさせる等、私たちも地元のテクニックを覚えてきた。しかしグランドの表面が平らではないため、足首を捻挫して選手を失っていった。しかし本当に危険なのは、ボールを追いかけてサイドラインを越えてしまう時だ。観客がいる側のラインを越えるとどうなるかというと、選手のベンチや観客にぶつかってしまうのではなく、サイドラインから五十センチの所にびっしり並んで停めてある車のフロントに激突してしまうのだ。そして、これは安全な方のサイドである。

グランドの反対側は沼、ヒースの野、そして岩である。試合中のことだった。我がチームのメンバーが一人いなくなっていることに気付いたので、本来許されていないのだが、何とかタイムを取って迷子のメンバーを見つけようとした。相手チームとも肩を寄せあって集まり、最後にラルフを見たのはいつだったか思い出そうとした。その時誰かが、ラルフがヒース側に向かうボールを追っていき、何とかボールを出さずに試合を続けられた場面があった、と思い出したのだ。早速私たちはその場に駆けつけた。ラルフはボールを追いかけて勢いが余り、ヒースの野に突進、ウサギの穴に片足を突っ込んだが、足はそのままで体が前進。結果は骨折。紫色の柔らかいヒースを枕にラルフは気を失って倒れていた。

私たちは試合中止を申し入れたが、審判はある解決策を出してきた。地元の救急車の運転手が相手チームにいるので、彼がラルフを病院に連れていく。そうすれば両チームが大体同じ人数でいけるというのだ。そこで試合は続行。その後、ヒースの野でもうひとりメンバーを失ったのだが、そのケガは大したことはなかった。結局、最後まで残ったのは、我がチーム十人中六人。三対一で負けたが、それは善戦した結果で満足だった。

この大騒動がグランドで繰り広げられている間、周囲の景色は夕日の中で不思議な変化を見せていた。眼下に広がる海、遠く水平線に沈む太陽、その手前には、イオナ島を初め、伝説の島スタッファと言った島々のシルエットが見えた。入り江の反対側にはベン・モール山が見える。その平たい山頂の上を進む白い雲は山の端を越えると、海上にゆっくりと滑っていき、赤紫の壮麗な輝きの中に溶けこんで行った。試合のちょうど真ん中位だったろうか、その雲は沈む太陽の中に入り、真っ赤に光り輝いた。頭上にはすでに星がきらめいていた。

不思議な夜と言ったが、それは周囲の美しさだけではなかった。その夜自体も不思議だった。試合が終わると、村の住人のほとんどが私たちといっしょに宿に集まり、夜を楽しんだのだ。片足を引きずりながら宿に戻る途中には「もう二度とやらないぞ、こりごりだ」と言っていた私たちだったが、村人とのパーティーが続き、朝も明けようとしている頃、宿の主人から「もう一試合する気があるか」と尋ねられて、二つ返事で受けてしまった。もちろん、私たちは本当にもう一戦交わした。


遊びは、クリスチャンにとって最も崇高な召しの一つだ。私たちの生活の多くの時間は、何かを生産したり変えたりすることに使われているが、遊びはそうではない。単純にこの世界でくつろぎ、神との平和を楽しんでいるのだ。(続く)


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