(琵琶湖を見下ろす)
-プラトン的福音理解との対話-
1998年に包括的福音理解と出会ってもう四半世紀が経とうとしています。この間、私なりに思い巡らしてきたことを一つにまとめてみました。
初めに
私がちょうど20歳の時、1974年に『ローザンヌ誓約』が表明されました。その第5項で、「伝道と社会的政治的参与の両方が、ともに私たちキリスト者のつとめであること」が確認されました。それは画期的なことで、それ以来、両者を含む包括的な宣教が語られるようになりました。
環境と正義に関して答えられないもどかしさ
私は、社会的な責任は大切だと考えてはいましたが、救霊という永遠のわざに比べてどれほどの価値があるのだろうか、という疑問が心の奥底にありました。しかし、同時にそのような自分に対して「何かが変だぞ」という思いもありました。特に、公害や社会正義の問題に関心が高かった妻から、そのような問題に対してどう考えるのかと突きつけられていて、聖書からはっきりと答えが出せない自分にもどかしさを感じていたのです。聖書は大切な問題に答えていないのだろうか、と。
それは私だけの問題ではありませんでした。私は次のような経験もしていました。
フィリピンで
私がフィリピンへの宣教師だった1991年ごろだったと思います。フィリピンのマニラで、信仰熱心なキリスト者・ドクターたちが貧しい地域で無料のクリニックを開いていました。しかし、そのクリニックは間もなく閉じられました。改心者があまり起こされなかったという理由でした。私は「それは仕方がないかな」と思いましたが、同時に、「地域での必要はまだあっただろうに」と思い、何かが気になりました。イエスさまが貧しく病んだ人々を癒したのは、人々の回心のためだったろうか。いやそうではなかったはずだ、と思ったのです。
アメリカで
フィリピンで四年の働きを終え、1994年にアメリカに留学しました。間もなく、ある牧師会に出席しました。和やかで真実な会話がなされていてよい印象を受けたのですが、一つ気になることがありました。それは、その日の議題の一つ「フレンドシップ伝道」でした。アメリカの北東部、ニューイングランド地方は、19世紀にはすぐれた宣教師を多く輩出した信仰熱心な地域でしたが、その後、世俗化が進み、今は伝道の困難な地域となっていました。苦労している先生方は、「やはり、まず人と友達になることがより効果的ではないか」という話しをしていたのです。私が少し敏感になっていたからかもしれません。しかし、主イエスが人の友となったのは、伝道のための「効果的な手段」だったからだろうか、いやそうではないはずだ、と思いました。
イギリスで
米国の次に、やはり勉強のために1996年にイギリスに行きました。出席教会を探していて、近くの町にある福音的な国教会の礼拝に出席しました。大きく古い教会堂で、若者も大勢集っていました。パイプオルガンの奏楽で始まり、途中がコンテンポラリー、最後は再びオーソドックスな音楽で終わる。なかなかよいと思いました。優秀な説教者がきちんとした釈義をして説教をしていたので、この教会なら集えるかもしれないと期待しました。
ところが、最後に配られたチェックシートを見て意外に思いました。デボーションをしているか、キリスト教の良書を読んでいるか、私生活での良い行い、集会出席、奉仕、伝道、献金、といったチェックリストでした。思い起こせば、アメリカでも同じでした。聖書のどこから語っても同じ適用になるのです。
出口を探して
キリスト教は、デボーション、私生活、そして教会堂という三つの壁の内側に留まっていて、その壁を越えないようにしているかのようでした。福音派にとって伝道だけが大切なことで、その他の全てが、愛も友情さえも、伝道のための手段となる。キリスト者らしさは私生活と教会堂の中だけで求められ、教会堂の外のあり方は、明確な指針がないため、一般の人々と同じ価値観やライフスタイルになる。
これはどこかがおかしいと思うのですが、どこがおかしいのかが分かりませんでした。何と言っても私の心深くには次のような考えが刻まれていたからです。
イエス・キリストの救いは個人の罪を赦し、魂を天国に送るもの。被造世界は結局消えてなくなるのだから、永遠の価値があるのは救霊だけだ。誠実に働いても、心を込めて家事育児に励んでも、良い芸術を産み出し、社会や環境の問題に取り組んでも、証しになれば価値はあるが、それ自体に究極的な意味は見出せない。
私は出口を探してもがいていました。
『キリスト者の世界観』との出会い
そのようなとき、イギリスの大学でクレーグ・バルソロミューという教授と出会い、その方に紹介された本が、アル・ウォルターズ著『キリスト者の世界観-創造の回復-』(聖恵授産所出版部、1989、2018年に増補改訂版)でした。その内容は、「聖書の語る救いは、世界全体を本来の大変良かったものに回復し、完成すること」というものでした。私は直感的に、これは正しいのではないかと感じました。そして聖書が本当にそれを語っているのかを確かめようと思い、創世紀から読み直し始めたのです。それは1998年のことでした。
プラトン主義の影響
先ほど述べたように、私にとってのキリスト教は、「救われた魂は天国に行き、目に見える世界は消滅する」というものでした。しかし、「その考え方はプラトン主義の影響を受けたものである」と福音派の学者たちが語っていたことを後になって知りました。
たとえば1977年には、福音派の代表的な注解書である新国際注解書の『黙示録』の著者、ロバート・マウンスが次のように語っています。
地上の一時的な世界から、霊的で永遠な世界へと魂が逃げだすことが救いである、というギリシア的二元論と違い、聖書の思想は「地上の存在から離れた天の世界ではなく、常に人を贖われた地上に置く。」[1]
1999年、著名なN.T.ライトは、
「死んだら天へ行きそこで永遠を過ごす」という考え方は、グノーシス主義やストア派のものであり、仏教に近い。[2]
と述べ、2000年には、リチャード・ボーカムは次のように語っています。
世界の未来を犠牲にした形で、死後における個人の未来が強調されて来た。この強調は、初期においてはプラトン主義の影響、最近では現代主義的個人主義の影響による。[3]
つまり「死んだら永遠に天国」というのはギリシア思想、特にプラトン主義である、というのです。それはおよそ以下のような思想です。
人の魂は天で生まれ、現在は、汚れた肉体、そして下等で軽んじるべき目に見える世界に囚われている。そこで、死後、肉体から逃れて天に帰り、神と合一することが救いである。
ここで注目すべき点が三つあります。一つ、人間には霊魂と肉体という二つの別個の部分があるとする人間観。二つ、「霊魂が良いもので、肉体と目に見える世界は下等で軽んずるべきもの」という、明らかな上下関係があること。三つ、「救いは、魂が肉体と物質世界から天に逃れて神と一体となることである」という彼岸的で神秘的な救済論です。私が捉えていたキリスト教は、プラトン主義に非常に近いものだったと気付かされました。
おわりに
もし、「人は死んだら永遠に天国、世界は消滅する」という思想が、聖書から来ていないのならば、聖書は何と言っているのでしょうか。本当に聖書は「被造世界の回復と完成」をその中心テーマとしているのでしょうか。私はそのような疑問を抱きつつ、聖書を読み直してきました。そのプロセスは、私が持っていたプラトン主義的な理解と、聖書の「創造の回復」という理解の間の対話と言えます。
私は思想史、哲学、教義学の素人です。聖書学の知識も浅いものです。そのため、講演の内容は拙く、間違いや誤解している点も多いのではないかと思います。その点ご配慮いただきながら、真理に至らずとも、真理に向かいたいと願ってきた私の旅路に最後までお付き合いいただければ幸いです。誤解や誤りなどに気が付きましたらお教えくださいますよう心よりお願いします。
これ以降の文章は、以下の電子書籍をダウンロードしてお読みください。
[1] Robert H. Mounce, The Book of Revelation in The New International Commentary on the New Testament, ed. F. F. Bruce (Grand Rapids: Eerdmans, 1977), 368. [2] N. T. Wright, New Heavens, New Earth: The Biblical Picture of Christian Hope, Grove Series, no. B 11 (Cambridge: Grove Books, 1999), 9. [3] Richard Bauckham, "Eschatology" The Oxford Companion to Christian Thought, ed. Adrian Hastings (Oxford: Open University Press, 2000).
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