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執筆者の写真島先 克臣

対話シリーズNo.7 非常に良かった世界

更新日:2022年8月24日



キリストの再臨と「からだのよみがえり」という信じ難い教えが、キリスト教の救いの中心にあるのには理由があります。


今回のシリーズNo.4で、「原初の幸い」に触れました。プラトン哲学によると、魂が天上で神と共にいたときが「原初の幸い」なので、汚れた肉体と侮蔑すべき世界から逃れて天に帰るのが救いとなります。「原初の幸い」に戻ろうと言う点ではキリスト教も似ているかもしれません。しかし、プラトン主義の原初の幸いは天なのですが、キリスト教の原初の幸いは地上です。


非常に良かった地上世界

 聖書の最初の数ページにある天地創造の記事では、神が天と地を造り、最後に人間を地上で造り、他の被造世界を治めるように命じています。そして、その地上の姿の全体が、「非常に良かった」(創世紀1:31)と記されています。その姿とは、


人間が創造主をあがめ、

互いに愛しあい、協力しつつ、

世界を愛情深く正しく治めていく


というものだったことでしょう。これがキリスト教の「原初の幸い」です。創造の秩序と呼ぶ人もいます。


世界を回復する神の愛

 その後、人間の罪によって、人の心と世界に歪みが生じました。しかし、だからといって神は世界を見捨てることはなさいません。神はイエス・キリストによって、その歪みを正していき、最終的にはもう一度キリストを遣わして、非常に良い世界を完成させます。そして私たちはその完成した地上にからだをもってよみがえると聖書は語ります。「原初の幸い」とも言える世界のあり方の回復です。そのため、聖書では、キリストの再臨とからだのよみがえりが必然となるわけです。


プラトン哲学との違い

 プラトン哲学と聖書の違いは、大きいと言えるでしょう。原初の幸いは天にあるのか、地にあるのか。目に見えるこの世界はもともと悪なのか、それとも、もともと神が愛情を込めて造られた良きものなのか。神はただ、人の魂が天に帰ってくるのを待っているだけなのか、それとも、ご自分の造られた世界全体を愛して積極的に働きかけ、回復するのか。この違いが、「霊魂の不滅と天国行き」と「キリストの再臨とからだのよみがえり」の違いに表れてくるのです。


生き方に表れる違い

 そして、それは今の私たちの生き方に影響を与えるのではないかと思います。この混乱した地上世界はどうやっても救いようもないと悲観的に考えて逃げ腰になるのか、それとも、この世界には全能者の愛が注がれておりついには完成に至ると信じて、問題を乗り越えようとするのか。その二者の違いは、社会正義と環境保護に対する姿勢にも表れてきます。



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