私は「SDGs情報局」というFBグループに入っていて、ある投稿で大変教えられたので、何回かにかけてお分ちしたいと思います。
(1) 旧約聖書の救い:主が王となられた
旧約聖書では、詩篇も預言書も、「将来、主が全地の王となり、地上が愛と正義で覆われる」と語っていました。それは、本来のよかった被造世界が回復し、完成される時です。それが旧約聖書の「救い」です。主が王となられたというのが良い知らせ(福音)でした(イザ40:9など)。そして主が王となるときは、主が万民のために祝宴を設けられると言われています(イザ25:6-10)。主がくださる恵みを喜び祝い、楽しむ生き方は旧約聖書でも勧められています(伝道者の書)。
(2) 新約聖書の神の国
新約聖書のメッセージは、「主が王となるという旧約聖書の救いの約束がイエスによって実現した」というものでした。「主は、イエスを通して王として治め始められ、再臨のときにその統治を完成させる」(神の国)というのです。そのとき、やはり祝宴がもたれます(ルカ13:29)。その祝宴をイメージしたのが聖餐式の意味の一つでもありました(ルカ22:18、30)。イエスの弟子は、いつも飲み食いしていると批判されるほど、主が王となられたこと(メシアの到来)を喜び、祝っていました。
(3) SDGsとソーシャルフェス
SDGsが完成した世界は、まさに、主が王となられたときの世界です。そのことは、私が訳した「聖書とSDGs」でも表されています。
面白いことに、SDGsを若い方々に広めるために、ソーシャルフェスという運動があるそうです。それは、SDGsが実現した世界を想像して祝い楽しむ、それを動機として、今をその世界に向かって造り替えていく(再創造)という運動です。ミレニアル世代は「課題の啓蒙」より「希望の体験」によって生活が変わっていくからだそうです!!
(4) 希望の体験
近代主義(啓蒙主義)の影響を強く受けたプロテスタントは、「希望の体験」を忘れ、「課題の啓蒙」ばかりしてきたように思えます。私自身もそうです。ただ、今世紀に入って近代主義の影響が薄れ、新しい世代が生まれ育ってくると、もう「課題の啓蒙」ばかりするようなキリスト教は理解できません、魅力を感じません、生きるモーティベーションも与えてくれないのです。
近代主義(啓蒙主義)の影響が薄くなっている今こそ、祭りと祝いと楽しみを大切にした聖書の時代に戻るのもよいのではないでしょうか。
(5) 最後に
1. 主が王となられた世界。それは、貧富の差や性差別、また、環境破壊もない世界。平和と豊かさ、正義と公正に覆われた世界。その世界が来ると信じ、その世界を想像して、今、祝い、楽しみ、祭りをする。
2. メシアであるイエスは、その世界をもたらすために、聖霊により、その弟子を通して、現在働いておられる。それゆえに、弟子であるクリスチャンは、希望を持ち、楽しみつつ、困難な課題に取り組んでいく。
クリスチャン個人としても、教会としても、主が王となられる世界を想像し、それを祝い楽しみ、それを動機として、今の世界を再創造していく。これこそ、まさに、クリスチャンが召された生き方ではありませんか!! SDGs17の目標を一つ選んで、一歩踏み出してみませんか?
Comments