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アメリカ福音派の旗印

更新日:16 時間前


 私は二十歳のときに入信し、まもなく米国の宣教師が開拓した教派に加わりました。大学卒業後は国内の米国系福音派の神学校に入学し、卒業後は国内で牧師、ついでフィリピンへの宣教師となりました。その後米国にわたり福音主義で超教派の神学校で旧約聖書を学び、続けて英国に行って福音派の学者ゴードン・ウェナムのもとで博士号を取りました。

 修士課程が終わるまで米国系の福音派に身を置いてきた私にとって、米国福音派が持つ特徴や強調点こそが正しいもので、それ以外は福音派ではないと考えていました。ここではそのような特徴、強調点、そして福音派とそうでないグループを分かつ境界線を「旗印」と呼びます。


A. 米国福音派の旗印

 福音派の旗印は、例えば、


 教理的には

1.    聖書は、歴史、科学、地理など、どの分野においても間違いを一切含まない。

2.    創世紀1章の記事を文字通り信じて、進化論を信じない。

3.    批評学を用いない。

4.    「未信者は死後、永遠に苦しむ地獄に落とされる」という地獄観のみ、贖罪論は刑罰代償説のみを信じる。


 倫理や生活では

1.    リベラルな神学校や教派・教会から離脱する。

2.    エキュメニカルな場に身を置かない。

3.    社会的な改革運動に参与しない。

4.    酒タバコを飲まない。


などで、他にもいろいろあるでしょう。最近では投票するときに、中絶を禁止し、LGBTQや同性婚を認めず、イスラエル国を支援する候補者を選ぶ、などの政治的な旗印が加わっているようです。

 もちろん米国系福音派にも幅があります。ただ、上記の旗印は、米国系福音派のすべてではないにしても、多くの人々や団体が掲げているものと言えるでしょう(注1)。


B. イギリスの福音派

 そのような私が90年代後半にイギリスに行って見聞きした福音派の在り方はショッキングでした。イギリスの福音派は総じてこの旗印を掲げていなかったのです。


 教理的には

1.    英国最大の福音派ネットワークであり、ジョン・ストットが熱心に支援したEvangelical Alliance UK(EAUK)という同盟があります(日本のJEAにあたる)。同盟の聖書観は「信仰と生活に関して完全に信頼できる」と語り、「無誤」だけでなく、「無謬」という言葉も使っていません。おそらく、特別な用語を使わなくても意図は十分に伝わると考えたのでしょう。


2.    私がイギリスに行って驚いたのは、「神が進化というプロセスをとおして世界を無から創造した」とする有神論的進化論を信じる福音派のクリスチャンが多かったことでした。


3.    福音派に属するゴードン・ウェナムだけではなく、他の福音派の学者たちも批評学を用いるか、批評学と対話をし続けていました。


4.    ゴードン・ウェナムの兄弟で、著名な福音派の新約学者ジョン・ウェナム、そして第一回日本伝道会議の講師として招かれたジョン・ストットは、永遠に苦しみ続ける地獄に疑問を呈していました。贖罪論に関しては、教会史のなかで語られてきた勝利説や満足説などを排除するのではなく、刑罰代償説を含む多面的な捉え方をしているようです。


倫理や生活では

1.    ジョン・ストットやその他の多くの福音派の学者や教職は、リベラルな神学校や教派から離脱せず留まって対話と協働を続けていました。

 英国に着いて間もない頃、私は指導教官のゴードン・ウェナムに「福音派の教会を探している」と話したことがあります。どのとき彼が言った言葉を忘れることができません。「それはまるでアメリカの消費主義だね。私たちは近所の教会に集い、そこで仕えるのだ。」(注2)


2.    英国の福音派のリーダーや信徒は、聖書協会などのエキュメニカルな場に身を置いて活躍していました。たとえば、N.T.ライトは聖書協会の理事長でした。J.I.パッカーはカナダに移住し、カナダの聖公会(イギリスでは英国国教会にあたる)に加わり、北米でカトリックとの対話と協力を推し進めました。


3.    福音派のクリスチャンとして社会的な改革運動に参与するのは奨励されることでした。それは長い間のイギリスの教会の伝統でもありました。日本伝道会議のメイン講師だったクリス・ライトは教会の喫緊の使命として社会正義と環境問題をあげています。


4.    酒タバコを飲む、飲まないは個人の選択の問題のようでした。


当然ながら英国の福音派にも幅があるわけですが、上記のような傾向が顕著であると言うことはできるでしょう。


C.  なぜ違いが?

 つまり私が福音派の旗印、境界線と考えていたものは主にアメリカ福音派のものであってイギリスではあまり見られないものだったのです。イギリスの福音派もアメリカの福音派も、リベラルな神学によって聖書の権威が脅かされていることへの危機感から、聖書を権威ある神の言葉として高くかかげる福音主義運動でした。それにもかかわらず、なぜこのような傾向の違いが生じたのでしょうか? 

 それは、リベラリズムに対峙する方法が、それぞれの国がたどってきた歴史や文化(地理も?)のゆえに違ったからだと私は考えています。その違いは、あえて単純化して言えば、英国は対話型、米国は闘争型と言えると思います。


対話型と闘争型

 私が米国の修士課程で学んだ論文の書き方は、相手の意見をまず否定してからその理由をあげていくというものでした。イギリスに行くと「それははしたない。相手の言い分を評価してから、その問題点を述べていきなさい」と指導されました。英米の文化の違いを感じたものです。


根本主義運動

 米国では20世紀に入ってリベラリズムとの戦いが本格的になりました。1910年代に『ザ・ファンダメンタルズ(The Fundamentals: A Testimony to the Truth)』が出版され、5つの根本信条を高く掲げました。それだけではなく、上記Aに記したような教理と行動を旗印として挙げました。その基調にあるのは、リベラリズムに対する戦い、エキュメニカルな団体・リベラルな教派や神学校からの分離離脱、リベラルなあり方に対する反動です。


反動の例

 教会は2000年の間、貧しい者、社会的弱者を助けてきました。ウェスレーやウィルバーフォースは社会の機構自体を変えていきました。アメリカでも19世紀末のムーディーまではその良い伝統を守ってきましたが、20世紀に入ると一転します。リベラルな教会がしていることへの反動として社会に関わらなくなったのです。リベラルな指導者が地獄や罪の贖いを信じなくなっていたので、反動として伝統的で分かりやすい地獄の教理や刑罰代償説のみを旗印に挙げました。リベラルな学者が批評学を推し進めたのでそれを禁じ、彼らが現代の基準と視点から聖書には誤りがあると主張したので、信仰を守るために現代の基準と視点で詳細な無誤性の定義を定めました。

 対話型の英国では米国に比べて、戦い、分離、反動が少なかったために、旗印(境界線)が違ってきたのです。


D. 世界福音同盟 (WEA)

 世界福音同盟は、米国や英国だけでなく世界中の多くの福音派のグループが加盟する同盟です。当然ながら掲げる旗印はみなが一致できる基本的な項目に限られています。(注3)


E. 日本の福音派(JEA)

 日本の福音派の多くは戦後に米国福音派、しかも保守的なグループからの宣教師が始めたものです。そのため米国福音派の旗印が日本の福音派の旗印となったという経緯があります。しかし日本の福音派には、日本ならではの歩みや旗印があってしかるべきです。実際、JEAの歴史や日本伝道会議の内容を見ると、米国だけではなく英国の神学者の影響を受けていることがわかりますし、戦争責任や靖国などの独自の問題に取り組んでいます。また、聖書に「誤りがない」という場合、その現代的で詳細な定義を米国のようにはせずに幅を持たせています。


F. まとめ

 私は個人的に、日本の福音派がEAUKやWEAのような広さを持つことを願っています。確かに闘争型はわかりやすいという利点があります。また、大きい運動を短時間に起こすこともできるでしょう。それでも私は、闘争型ではなく対話型が定着することを願います。なぜなら


  1. 闘争型では、反動によって「産湯とともに赤子を流す」誤りを犯しやすくなります。

  2. 闘争型では単純で分かりやすい旗印が好まれるので、「聖書自体が持つ複雑さや多面性ゆえの豊かさと幅の広さ」が損なわれる可能性が高くなります。

  3. 闘争型では相手を敵と見るので、攻撃的になりがちです。また、自分たちの旗印と少しでも違う動きが内部にあるとそれを糾弾して排除する内部粛清、アーサー・ミラーの言う魔女狩りを神の名においてしてしまう危険性が高まります。(注4)


 私はこのような闘争型は日本文化にそぐわないような気がしますし、実際JEAは全体としては対話型路線を歩んでいるように見受けられます。

 日本の福音派が「聖書は権威ある神の言葉であり、聖霊が聖書を用いてイエス・キリストへの信仰とそれにふさわしい生活に導く(IIテモ3:15-16)」という福音主義の基本を堅持しつつ、ますます対話型の歩みをしていくことを願っています。


参考となるブログ記事

 地獄の教理に関しては「アメリカにおける『救い』」参照。


注1)たとえば、2024年の大統領選挙で約80%の福音派がトランプ氏に投票しました。イスラエル国を無条件に支援するクリスチャンシオニストは最低でも30%、多ければ60%いると言われています。

 また、私が体験した1990年代のアメリカとイギリスの教会の様子も現在変化していることと思いますので、本ブログはあくまでも参考までにお読みください。

注2)分離を主張したロイドジョーンズは少数派と言えるでしょう。

注3)WEAの聖書観は「infallible, entirely trustworthy(無謬で、完全に信頼できる)」と述べています。確かに無謬という言葉を使っていますが、その意味は、それに続く「完全に信頼できる」ということであって、シカゴ声明のような現代の基準と視点での無誤を指しているのではないでしょう。

注4)自らを神の側に立っていて絶対に正しいという前提に立ち、手段を選ばず真偽さえ問わず証拠を捏造してまで神の名の元に兄弟姉妹を断罪・粛清するあり方は非常に非倫理的だと私は考えます。私が身近に体験した内部粛清の例は「思い出シリーズ4『同労者を知る』」参照。


 

 


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