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アメリカにおける「救い」の変化

ジョナサン・エドワーズ
ジョナサン・エドワーズ

序論

 ゲヘナ(地獄)に関しては福音派内に解釈の幅があります。それは、(1)「罪人は地獄で意識があり永遠に苦しむ」、(2)「罪人は消滅する」、(3)「罪人は地獄で神の恵みから切り離されている」、(4)「最終的にすべての人が救われる」などです。英国福音派内では、(1)をとるJ.I.パッカー、(2)をとるジョン・ストット[1]とジョン・ウェナム[2]、(3)をとるN.T.ライト、など、意見が分かれていますが、(1)以外が異端視されることはありません。世界福音同盟はヨハネ5:29を引用して最後の審判を告白しますが、審判の内容は定義していません。しかし、アメリカの福音派では(1)の地獄観が圧倒的な多数派です。


 それに加え救済論の中心に関しても違いがあります。イギリスのジョン・ストットやクリス・ライトの著作、またローザンヌ運動の諸声明を読むと、イギリスや世界の福音派の指導者の救済論は、地上における神の国の広がりに焦点が当てられ、環境や正義への取り組みが適用として言及されています。救済論の焦点と中心は地獄からの救いではありません。ところが、アメリカの福音派では、キリスト教救済論の中心は「地獄からの救い」となっています。


 ではアメリカの福音派教会では、どのような経緯を経て「永遠に苦しむ地獄からの救い」がキリスト教の救いの中心になっていったのでしょうか?

 教会史の素人による概観ですので誤りもあるかもしれません。ご指摘いただければ幸いです。


1.         第一次大覚醒(1730–1745)


ジョナサン・エドワーズ(Jonathan Edwards)はその代表的説教「怒れる神のみ手の中の罪人」(Sinners in the Hands of an Angry God、1741)で次のように語りました。


神はあなたを地獄の穴の上に蜘蛛のようにぶら下げている。神の怒りは火のように燃えており、あなたが地獄に落ちないのは、ただ神の手が支えているからに過ぎない。[3]


この説教では、「人間は今この瞬間も地獄に落とされる」とされました。当時の記録では、聴衆は「泣き叫ぶ、椅子にしがみつく、どうすれば救われるのかと叫ぶ」という状態になったと記されています。この説教は出版されて非常に多くの人々に読まれ、この地獄の恐怖はアメリカの人々の心に深く刻まれるようになりました。


2.         第二次大覚醒(1790–1840)


第二次大覚醒でも地獄が強調されました。チャールズ・フィニー(Charles Grandison Finney)は1840-50年代にオハイオ州にあるオーバリン大学(Oberlin College)で説教し(Sermons of the Gospel Themes)、地獄を生々しく描きました。


ここにまた一つの光景がある。そこには「火と硫黄の池」があり、失われた罪人たちが渦巻く炎の波に投げ込まれる。彼らは燃えさかる岸辺を叩き、苦痛に舌を噛みしめる。そこでは虫は死なず、火は消えず、「一滴の水」すら届かず「舌を冷やす」こともできない―「その炎の中で苦しめられ」ているのだ。[4]


このように、「福音とは、死後に落とされる恐るべき地獄からの救い」という理解が北米で定着していったのです。


3.         第三次大覚醒(1850-1900)


19世紀後半の第3次大覚醒の中心人物ムーディ(Dwight L. Moody)は、神の愛とキリストの救い、そして、改心した人の心から始まって社会に広がる神の国を強調し、貧民街伝道、孤児支援、教育活動、職業訓練などを実践しました。ムーディのリバイバルはバランスのとれたものだったと言えるでしょう。


4.         20世紀:福音派の正統性の指標になる


しかし、20世紀になると再びバランスが崩れます。リベラリズムとの戦いが全面で出てきたからです。近代神学が普遍救済を説き、地獄を否定し、社会活動を強調したため、それへの反動として、永遠の地獄を信じること、社会的な働きをしないことが正統信仰の旗印として強調されました。


5.         標準化


20世紀前半まで、福音の説明は説教者ごとにかなり違っていました。しかし1950年代以降、福音を短い公式で説明する方法が広まります。それを広めたのはキャンパスクルセードの四つの法則と、ビリー・グラハムです。グラハムのクルセードでは、メッセージは以下のように非常に明確な構造を持っていました。


1 神はあなたを愛している

2 人は罪人である

3 キリストが十字架で死んだ

4 信じれば永遠の命を得る


グラハムは説教最後の決断を迫る場面で、しばしば次のように語りました。「もしあなたがキリストなしに死ぬならば、滅びることになる(If you die without Christ, you will be lost.)」グラハムは死後に天国へ行くのか地獄へいくのかの決断を迫ったのです。このクルセードの説教は、伝道説教の基本として標準化していきました。


6.             終末論との結合


グラハムのもう一つの特徴は、核兵器の拡散と共産主義の台頭、そしてイスラエルの建国という当時の社会状況から、世界戦争と世の終わりが近いことを強調し、また共産主義との戦いのために、救いへの決断を迫ったことです(例「世界は燃えている」)。

 「世界は燃えている」の中でグラハムは再臨と天地が新たにされることに触れています。しかし、一般の聴衆や読者には、将来のことよりも今の「救い」が重要だったに違いありません。しかもグラハムの説教の中心は晩年に変化し、神の愛の強調と世界平和を求めるものに変わるのですが、初期のグラハムの伝道メッセージ、そして破局的終末論の強調は、福音派に大きな影響を与えていきました。


7.         まとめ


ジョナサン・エドワーズ、チャールズ・フィニー、リベラリズムとの戦い、四つの法則とビリー・グラハム・クルセードを経て、アメリカの福音派ではキリスト教の救いの中心は「永遠の地獄からの救い」となり、それがアメリカの福音派教会において正統信仰の旗印となったのです。


8.         結論


ゲヘナへの言及が7回、と一番多いマタイの福音書においても、イエス様は神の国に52回言及して人々に教えていきました。この地上で神が王となられた、神を王として生きよという教えがイエス様の中心のメッセージでした。パウロは地獄の恐怖に一切触れずに命懸けで地中海全域に神の国の福音を述べ伝え、イエスを主(キュリオス)として生きよと勧めて教会を各地に建てあげていきました。(この点の詳細はエッセイ「ゲヘナ」参照)。


 私は地獄を否定するようお勧めしているのではありません。ただ、地獄の解釈に幅があることを認め、アメリカの教会がたどった独自の歴史を理解した上で、主イエスとパウロの宣教にならって宣教の中心を神の国にすることをお勧めしたいのです。




[1] この問いに答えるためには、聖書の資料を改めて検討し、聖書が消滅説の方向を指し示している可能性、そして「永遠の意識的な苦痛」という伝統が聖書が持つ至高の権威に譲らなければならない可能性に対して、私たちの心(単に感情だけでなく)を開く必要がある。

“And in order to answer this question, we need to survey the biblical material afresh and to open our minds (not just our hearts) to the possibility that Scripture points in the direction of annihilation, and that 'eternal conscious torment' is a tradition which has to yield to the supreme authority of Scripture.”

Excerpts from David L. Edwards and John Stott: Evangelical essentials: a liberal-evangelical dialogue, pp.312-329. (https://www.truthaccordingtoscripture.com/documents/death/judgement-hell.php?utm_source=chatgpt.com)

[2] 「私は、永遠の苦しみというものは、忌まわしく、非聖書的な教義であり、何世紀にもわたり教会の心に重くのしかかってきた恐ろしい重荷であると信じている...」

"I believe that endless torment is a hideous and unscriptural doctrine which has been a terrible burden on the mind of the church for many centuries..."

 John Wenham "The Case For Conditional Immortality" taken from Chapter 27 of Facing Hell: The Story of a Nobody, An Autobiography 1913 - 1996 (Carlisle: Paternoster Press, 1998), pp. 229-257 (https://www.wadeburleson.org/files/documents/death/wenham%20john%20-%20the%20case%20for%20conditional%20immortality.pdf?utm_source=chatgpt.com, p.17)

[3] “The God that holds you over the pit of hell, much as one holds a spider…his wrath towards you burns like fire…it is nothing but his hand that holds you from falling into the fire every moment.”

[4] Here is another image. You have a “lake of fire and brimstone,” and you see lost sinners thrown into its waves of rolling fire; and they lash its burning shore, and gnaw their tongues for pain. There the worm dieth not, and their fire is not quenched, and “not one drop of water” can reach them to “cool their tongues”—“tormented in that flame.”

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