(ラテン語の使徒信条)
人間は古代から永遠のいのちを求めてきました。しかし、「霊魂の不滅と天国行き」だけが唯一の選択肢だったわけではありません。ダイヤモンド型人間観を持つ聖書は、同じ「永遠のいのち」という言葉を用いても、別のあり方を提示してきました。それは肉体の復活です。イエスは言いました。
わたしの父のみこころは、子を見て信じる者がみな永遠のいのちを持ち、わたしがその人を終わりの日によみがえらせることなのです。(ヨハネの福音書6:40)
使徒信条
キリスト教信仰の真髄を凝縮して、千数百年以上にわたって言い表してきた『使徒信条』というものがあります。そこには、「霊魂の不滅と天国行き」への言及はありません。その代わりに、『使徒信条』は、キリストが死んで、よみがえり、天に昇られたと述べた後で、
かしこよりきたりて生ける者と死ねる者とを審きたまわん。
と、キリストの再臨を宣言します。そして
我は…、罪のゆるし、からだのよみがえり、とこしえの命を信ず。
と記して終わっています。ここにキリスト教のユニークさが現れています。キリスト教の「永遠のいのち」は、プラトンの「霊魂の不滅と天国行き」ではなく、キリストの再臨のときに起こる「からだのよみがえり」なのです。
「霊魂の不滅と天国行き」は、多くの人にとって信じやすいものと言えるでしょう。ところが、キリストの再臨と「からだのよみがえり」はあまりにも突拍子もないものと感じてしまうかもしれません。ではなぜ、キリスト教は、一般的には信じがたいと思われる教えを全面に出すのでしょうか。
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