アメリカ福音派の旗印
- 島先 克臣
- 5 日前
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更新日:1 日前

私は二十歳のときに入信し、まもなく米国の宣教師が開拓した教派に加わりました。大学卒業後は国内の米国系福音派の神学校に入学し、卒業後は国内で牧師、ついでフィリピンへの宣教師となりました。その後米国にわたり福音主義の超教派の神学校で旧約聖書を学び、続けて英国に行って福音派の学者ゴードン・ウェナムのもとで博士号を取りました。
修士が終わるまで米国系の福音派に身を置いてきた私にとって、米国福音派が持つ特徴や強調点こそが正しいもので、それ以外は福音派ではないと考えていました。ここではそのような特徴、強調点、そして福音派とそうでないグループを分かつ境界線を「旗印」と呼びます。
A. 米国福音派の旗印
福音派の旗印は、例えば、
教理的には
1. 聖書は、歴史、科学、地理など、どの分野においても間違いを一切含まない。
2. 創世紀1章の記事を文字通り信じて、進化論を信じない。
3. 批評学を用いない。
4. 「未信者は死後、永遠に苦しむ地獄に落とされる」という地獄観のみを信じる。
倫理や生活では
1. リベラルな神学校や教派・教会から離脱する。
2. エキュメニカルな場に身を置かない。
3. 社会的な改革運動に参与しない。
4. 酒タバコを飲まない。
などで、他にもいろいろあるでしょう。
最近では、投票するときに、中絶を禁止し、LGBTQや同性婚を認めず、イスラエル国を支援する候補者を選ぶ、などの政治的な旗印が加わっているようです。
B. イギリスの福音派
そのような私が90年代後半にイギリスに行って見聞きした福音派の在り方はショッキングでした。イギリスの福音派は総じてこの旗印を掲げていないのです。
教理的には
1. イギリスには、多くの福音派諸教会やグループが加盟するEvangelical Alliance UKという同盟があります。その同盟の聖書観は「信仰と生活に関して完全に信頼できる」と語り、「無誤」だけでなく、「無謬」という言葉も使っていません。
2. 私がイギリスに行って驚いたのは、「神が進化というプロセスをとおして世界を無から創造したと」する有神論的進化論を信じる福音派のクリスチャンが多かったことでした。
3. 福音派に属するゴードン・ウェナムだけではなく、他の福音派の学者たちも批評学を用いるか、批評学と対話をし続けていました。
4. ゴードン・ウェナムの兄弟で、著名な福音派の新約学者ジョン・ウェナム、そして第一回日本伝道会議の講師として招かれたジョン・ストットは、永遠に苦しみ続ける地獄に疑問を呈していました。
倫理や生活では
1. ジョン・ストットやその他の多くの福音派の学者や教職は、リベラルな神学校や教派から離脱せず留まって対話と協働を続けていました。
私たちが英国に行き、指導教官のゴードン・ウェナムに私が「福音派の教会を探している」と話したときに彼が言った言葉は忘れられません。「それはまるでアメリカの消費主義だね。私たちは近所の教会に集い、そこで仕えるのだ。」
2. 英国の福音派のリーダーや信徒は、聖書協会などのエキュメニカルな場に身を置いて活躍していました。たとえば、N.T.ライトは聖書協会の理事長でした。J.I.パッカーはカナダに移住し、カナダの聖公会(イギリスでは英国国教会にあたる)に加わり、北米でカトリックとの対話と協力を推し進めました。
3. 福音派のクリスチャンとして社会的な改革運動に参与するのは奨励されることでした。それは長い間のイギリスの教会の伝統でもありました。日本伝道会議のメイン講師だったクリス・ライトは教会の喫緊の使命として社会正義と環境問題をあげています。
4. 酒タバコを飲む、飲まないは個人の選択の問題のようでした。
C. なぜ違いが?
つまり私が福音派の旗印、境界線と考えていたものはアメリカ福音派のものであってイギリスのものではなかったのです。イギリスの福音派もアメリカの福音派も、リベラルな神学によって聖書の権威が脅かされていることへの危機感から、聖書を権威ある神の言葉として高くかかげる福音主義運動でした。それにもかかわらず、なぜこのような違いが生じたのでしょうか?実はリベラリズムに対峙する方法が大きく違ったのです。
その違いは、わかりやすくするためにあえて単純化して言えば、英国は対話型、米国は闘争型と言えると個人的に思います。私が米国の修士課程で学んだ論文の書き方は、相手の意見をまず否定してからその理由をあげていくというものでした。イギリスでは「それははしたない。相手の言い分を評価してから、その問題点を述べていきなさい」と指導されました。英米の文化の違いを感じたものです。
米国では20世紀に入ってリベラリズムとの戦いが本格的になりました。1910年代に『ザ・ファンダメンタルズ(The Fundamentals: A Testimony to the Truth)』が出版され、5つの根本信条を高く掲げました。それだけではなく、上記Aに記したような教理と行動を旗印として挙げました。その基調にあるのは、リベラリズムに対する闘争、エキュメニカルな団体・リベラルな教派や神学校からの分離離脱、リベラルなあり方に対する反動です。
教会は2000年の間、貧しい者、社会的弱者を助けてきました。ウェスレーやウィルバーフォースは社会の機構自体を変えていきました。アメリカでも19世紀末のムーディーまではその良い伝統を守ってきましたが、20世紀に入ると一転します。リベラルな教会がしていることへの反動として社会に関わらなくなりました。リベラルな指導者が地獄を信じなくなっているので、反動として伝統的な地獄の教理を旗印に挙げました。リベラルな学者が批評学を推し進めたのでそれを禁じ、彼らが現代的な視点から聖書には誤りがあると主張したので、信仰を守るために現代的な視点で詳細な無誤性の定義を定めました。
対話型の英国では、闘争、分離、反動が少なかったために、旗印(境界線)が違ってきたのです。
D. 世界福音同盟 WEA
世界福音同盟は、米国や英国だけでなく世界中の多くの福音派のグループが加盟する同盟です。当然ながら掲げる旗印はみなが一致できる基本的な項目に限られています。
E. 日本の福音派
日本の福音派の多くは戦後に米国福音派の宣教師が始めたものです。そのため米国福音派の旗印が日本の福音派の旗印となったという経緯があります。しかし日本の福音派には、日本ならではの歩みや旗印があってしかるべきです。実際、JEAの歴史や日本伝道会議の内容を見ると、米国だけではなく英国の神学者の影響を受けていることがわかりますし、戦争責任や靖国などの独自の問題に取り組んでいます。また、聖書に「誤りがない」という場合、その現代的で詳細な定義を米国のようにはせずに幅を持たせています。
F. まとめ
私は個人的に、日本の福音派がWEAのような広さを持つことを願っています。また、闘争型ではなく対話型が日本に定着することを願います。闘争型では、反動によって「産湯とともに赤子を流す」誤りを犯しやすくなります。また、闘争型では、自分たちの旗印と少しでも違う動きが内部にあるとそれを糾弾して排除する内部粛清、アーサー・ミラーの言う魔女狩りを神の名においてしてしまう危険性が高まるからです。そのような闘争型は日本文化にそぐわないような気がするのです。
日本の福音派が「聖書は権威ある神の言葉であり、聖霊が聖書を用いてイエス・キリストへの信仰とそれにふさわしい生活に導く(IIテモ3:15-16)」という福音主義の基本を堅持しつつ、対話型の歩みをしていくことを願っています。
参考となるブログ記事
地獄の教理に関しては「アメリカにおける『救い』」、内部粛清の例としては「思い出シリーズ4『同労者を知る』」参照。
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