2024年の6月に、妻と私は子どもたちを訪ねて3週間、ヨーロッパを旅しました。娘の結婚式がイギリスで行われることになったのが第一の理由でしたが、娘と同じ町に住む長男夫婦に生まれた初孫に会うこと、またスペインに住む次男を訪ねることも目的でした。
子どもたちがいろいろな美しいところに私たちを連れて行ってくれましたが、その町や村に行くと、私は意識して教会堂を訪ねました。週日には礼拝堂への扉が開いていない教会堂もありましたが、それでも会堂入り口のホールにはほとんどの場合入ることができて、壁に貼ってあるポスターや催し物のお知らせに目を配ったのです。
スペインで
バルセローナとその郊外にあるカトリックの会堂は、ひとけもなく、ほとんど活動もしておらず、中に入ると暗く陰気な感じがしました。ポスターといえば、教会維持のための献金の要請です。次男の友人やその家族の話からは、キリスト教に対する積極的な評価は聞かれません。現地の若者は、さまざまな活動のために場所の工面をしなければなりませんが、献金を要請するばかりで会堂を使わせてくれない教会への不満を漏らしていました。
私が接したスペインの人々が口にしたのは、カトリック教会とフランコ独裁政権との癒着です。フランコ政権はカトリック教会を優遇し、多額の資金援助を含む特権を与え、それに応えて教会側は独裁政権を支えていきました。内戦の時もカトリック教会は政権側について戦いました。教会は、労働者や小作人という一般民衆ではなく、王、貴族、大地主などの支配者側について利益を得たのでした。
スペインでは現在でも人口の多くはカトリック教徒を自称しますが、他のヨーロッパ諸国と同様世俗化が進んでいます。確かにキリスト教文化は残存するものの、生きた信仰はあまりみられません。もし教会が、支配者側について特権を得ることをよしとせず、苦しんでいた民衆の側に立っていたならばどうだったろうか。私はそう思わずにはいられませんでした。
イギリスで
イギリスの国教会を訪ねると、スペインよりは市民に開かれた様子が伝わってきました。チャリティ活動、コンサート、さまざまな催し物が市民に開かれて行われていました。しかし、やはり活動する信徒の数はわずかでお年寄りが中心です。人々と話すとキリスト教に対する批判が多く聞かれます。
特に今は奴隷貿易に対する反省がなされています。奴隷貿易禁止法案を長年の苦労の末に可決させたのは少数のクリスチャンだったのですが、教会はそれに強硬に反対し続けました。教会は膨大な利益を奴隷貿易から得ていたからです。
イギリスは今でも46%は自称クリスチャンですが、スペインと同様、生きた信仰はあまり見られません。もし、教会が、奴隷貿易で膨大な利益をあげていた多くの富める信徒の側につかず、悲惨な状況に置かれた奴隷をあわれむ歩みをしていたら、これほど世俗化は進まなかったのではないかと、ふと思うのです。
イエス様は
1世紀のガリラヤ地方はパレスチナ地方でも特に貧しい地域であったことが、研究で明らかになっています。ローマの圧政の下で苦しんでいた人々のなかでも、ガリラヤの人々は特に苦境に置かれていたと言えるでしょう。私はイエス様がガリラヤで育ち、ガリラヤを中心に公生涯を始めたのは偶然ではなかったように思えます。イエス様は、各地を回って、飢えている者にパンを与え、病に苦しむ人を癒し、悪霊を追い出しました。それが、あわれみ深い神ご自身が王となられたこと(神の国)の表れでした。神が王となられたのだと見せて、神が王となられたという喜ばしいおとずれを告げました。それが神の国の福音です。これが良い知らせ、福音の本質なのです。
初代教会は、このイエスさまのみ足の後に従いました。教会の内部の貧しい人を助けただけではありません。帝国の弱体化にともなって北の国境付近から地中海沿岸の都市に流入してきた難民を率先して助け、パンデミックでは命懸けで病人を助けていきました。そのような弱者への愛の実践によって多くの人々が入信していき、300年で国教までになったのでした。
正統信仰さえあれば?
私は米国系福音派の教会で育ち、同じ流れの神学校で学びました。私が教えられたのは、「ヨーロッパの教会が衰退した原因は、批評学である」というものでした。正統信仰さえ保てば、それは防げたはずだ、と。
しかし、今の私はすこし違う意見を持つようになりました。
もし、正統的な教理をしっかり保っていたとしても、自分の教会、自分の教会堂、教職組織、そして、教勢を伸ばすことを第一にし、イエス様のように社会の底辺にいる人々のところに出て行って、あわれみ深い神が王となったことを行いによって示そうとしないならば、その教会は霊的に死んだ状態ではないだろうか。その霊的な死は、100年後、200年後に、「空っぽの教会堂と人々の悪感情だけが残る」という形であらわれるのではないか、と。
日本ではプロテスタント宣教が始まって150年以上経ち、私たちは教会の教勢が伸びなかったと嘆き、どうしたら若い方々に会堂に来てもらえるかと話します。しかし、もしかしたら、嘆くべきなのは、イエスさまの大宣教命令に従って教会堂から出て行き徹底して人を愛するというイエスさまの教えを十分守ってこなかったことであり、話し合うべきなのは、ご近所の困っている人々をどのようにしたら助けられるのか、なのかもしれません。
イエスは彼に言われた。「狐には穴があり、空の鳥には巣があるが、人の子には枕するところもありません。」(マタ8:20)
先生。前後編を通じて全く持って同意いたします。 米国に追従して来た私たち(福音派の多く)は、 根本的な所で、道を誤ったと思います。 しかし、その誤った道であっても、そこで神を信じる信仰に導かれたわけですので、
そこには信仰的実存があり、その信仰的実存を支える信念体系があります。
そして、信念体系を変えると言うことは、本当に大変なことであることをりかいします。 だからこそ、否は否、然りは然りを語り続けていかなければならないのだなと思われます。 先生のお働きに期待します。
大変興味深く読ませて頂きました。私も疑問に感じていたことに解答を頂いた思いです。
ありがとうございます。
よく分かりました。ありがとうございました。