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執筆者の写真島先 克臣

正統信仰さえあれば?(前編)−今、フィリピンでの体験を思う−

更新日:2 日前



フィリピンでの体験

 私は2000年から2004年まで、フィリピンで福音派の超教派の神学校で働いていました。2003年にその神学校で起こったことは、米国系福音派の中でも非常に保守的な方々が持つ側面を表したものでした。

 旧約学部の私の同僚が、イザヤ書の緒論(誰がいつ書いたかを探る学問分野)のことで、派遣母体の米国の宣教団体の調査を受け、「彼は御子の神性を信じていない」と判断され、辞めさせられたのです(詳しくは以下参照「同労者を知る」)。実際は、彼はすべての根本信条を信じる敬虔な学者でしたが、彼のイザヤ書の著論が派遣団体の理解とそぐわなかったために、異端のレッテルが捏造されて貼られたのでした。私は別の米国系福音派の宣教団に属していましたが、その団長は、著論の違いによって辞めさせられることに反対せず、次のようにその理由を私に語りました。


ヨーロッパの教会は批評的な神学のために死んでしまった。キリスト教信仰を守ったのはアメリカの福音派で、その戦いの最前線が緒論である。伝統的な緒論を崩すとドミノのように、信仰までも崩れてしまう。


米国の中の非常に保守的な福音派

 この出来事に見られるのは、米国の中でも非常に保守的な福音派のアイデンティティーと行動様式に見られるものです。それは、


1. 自分たちのキリスト教だけが正しく、

2. 自分たちだけが正統的キリスト教の守護者であり、

3. 自分たちと違う信仰理解は、正統信仰を破壊する危険があるので(ドミノ理論)、

4. 手段を選ばずに攻撃すべきである


というものです。この神学校の創設者の一人である英国の著名な神学者ジョン・ストットは、私の同僚を擁護する手紙を送ってきました。また、同僚は英国系の宣教団体であるOMFが引き受けてくれました。同じ福音派を名乗っても、米国系と英国系はこれほど違うのかと思ったことです。


英国系福音派と世界福音同盟(WEA)

 英国系福音派は、教派にしても、大学や神学校にしても、米国のように簡単に分離せず、また、意見の違う人々に対して攻撃的な批判をせず、彼らと対話を重ねながら、米国とは違うあり方で正統信仰を保持・発展させてきました

 英国系だけではありません。WEAが述べる福音派の特質や、WEAの信仰箇条を見ると分かるのですが、彼らは、根本的な信仰理解はおさえながらも、より細かい神学理解や倫理、また、教会論に関しては幅を持たせ、多くの人々が参画しやすいようにしています。


日本の福音派

 日本の福音派のグループの多くは、戦後にやってきた保守的な米国系福音派の宣教団が生み出したものです。そのため、その影響を強く受け、上記の物語、アイデンティティーと行動様式を今でも保持しているように見受けられます。日本の福音派の中では、近年、聖書論、LGBTQ、NTライトの著作などに関する批判が、一部の方々から起こっていますが、その批判の内容と方法(やり方)は、私がフィリピンで体験した上記の四点と重なるように思えます。


 私は日本の福音派が独自に成熟していくために、英国やWEAの歩みを参考にできるのではないかと思うのです。それは、三位一体、十字架、復活や再臨といった根本教理を前提にしながらも、他の点では、落ち着いて、かつ尊敬の念と愛を失わず、意見の違う人々と対話を重ねていくというものです。


神はいつも正しくても、自分の聖書解釈がいつも正しいわけではない。

主の教会を守るのはご聖霊であって、人間ではない。

自分と違った信仰理解が正統信仰を破壊するとは限らない。

正しい目的は手段を正当化しない。


という当然とも言える理解とご聖霊への信頼に、私たちは立てないものでしょうか。私たちは敵同士ではなく、主の前に欠けの多い存在、愛すべき兄弟姉妹、共に真理に向かって旅をする旅仲間ではありませんか。このことは私自身も戒めとして心に留め続けなければならないと思います。


私は、すでに得たのでもなく、すでに完全にされているのでもありません。ただ捕らえようとして追求しているのです。そして、それを得るようにと、キリスト・イエスが私を捕らえてくださったのです。ピリピ3:12


問われる聞く側

 とはいうものの、どのような主張に対しても異論があるのは当然ですので、そのような異論がテーブルに乗るのは、私は大変良いことだと思います。

 そして、批判を耳にする多くの方々には、最低二つの選択肢があると思います。この批判をそのまま受け入れて、「批判されている本は読まないようにしよう」と思うのか、それとも、「それほど危険視されているということは多くの賛同者もいることでもあるので、その批判が正しいかどうか、問題になっている本に自ら公平な気持ちであたってみよう」と思い、その人が個人的にどのような結論に至ったとしても、愛を失わずに自ら考え判断していくのか、という選択肢です。


最後に

 聖書論、LGBTQ、NTライト、だけではなく、今後も様々な課題が出てくることでしょう。その時、かかわる指導者の間に愛と尊敬があって、丁寧な論議がなされていく、そして、その論議を聞く人々も自ら判断していくことができれば、日本の福音派は成熟に向かい、その将来は明るいと思います。

 私たちはどちらの道を選ぶのでしょうか。


互いの間にがあるなら、それによって、あなたがたがわたしの弟子であることを、すべての人が認めるようになります。(ヨハ13:35)




後編に続く

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