(以下は、2020年秋にフェイスブックに投稿したものです。)
*同労者を知る 1 広島・長崎への原爆投下*
1999年、イギリスでの学びを終え、8月に帰国。16歳の長男はイギリスに留まることを選んだ。
翌2000年の7月25日、私たち夫婦は長女と次男を連れて、フィリピンに戻った。教派宣教師だった一期目と違い、今度は米国福音派の超教派の宣教団の一員としてである。働きの内容は神学校で教えるためで、マニラに住んだ。
マニラでは様々な宣教団が協力していた。2000年の10月ごろだったろうか、関係者に一斉に送られたEメールにこう書いてあった。「ブッシュは油注がれた大統領候補。皆で投票しよう。」何が起こっているのか、よく理解できなかった。11月7日、ジョージ・W・ブッシュが大統領選挙で勝利する。
翌年、2001年の中頃だったように思う。宣教師姉弟学校から帰宅した高一の娘は、目に涙を浮かべていた。その日のホームルームで、広島・長崎の原爆投下の話題となり、先生も、20名ほどのクラスメートも口をそろえて、「原爆投下は正しい決断で、それによって戦争を早く終わらせることができた」という。娘は、「20万の死者の中には、多くのお年寄りや子どもたちがいた。それを簡単に正しかったと言っていいのか」と発言したが、全く聞く耳を持たなかったらしい。
子どもも、その親も、そして教師たちも、ほとんどが米国福音派のクリスチャン。みな、国家の説明を受け入れ、苦しんで死んでいった非戦闘員への共感や、戦争自体に対する疑問は全くないようだ。なぜなのだろう。
*同労者を知る2 アフガニスタン爆撃*
2001年9月11日。妻と私は自宅のテレビのニュースで、二つ目の世界貿易センタービルの崩壊をリアルタイムで見た。自分の目を疑った。翌12日にはブッシュ大統領による「テロとの戦い」宣言。アフガニスタンへの爆撃が11月7日に開始された。
それから間もなく、中学2年の息子が憤慨して帰宅した。「アフガニスタン爆撃は正しい行為だ」という作文を国語(英語)の時間に書かされたという。
同じ宣教団に、闊達な女性宣教師がいた。彼女も「アフガニスタン爆撃は当然でしょう」と声高に語る。
大国間の駆け引きと思惑の間で、貧困と抑圧に苦しむ多くのアフガニスタンの人々。もともとは、米国が武器を与えて訓練したテロ集団。しかも爆撃によって、苦しむのは一般の人々だ。軍事介入によってベトナムのように戦闘が長期化する可能性もある。テロが生じた背景を考えず、武力行使の結末も考えない決断のように思われた。
愛情深く、主を愛し、献身的に伝道する同僚のアメリカ人宣教師たちが、武力介入を熱烈に支持する姿は、私にはあまりにもチグハグに見えた。同労者を理解しなければならないと強く思った。
*同労者を知る3 市民宗教*
同労者を知る助けとなったのは、ジョージ・マースデンというアメリカのクリスチャンの歴史家の本だった。彼の本をいくつか読んで学んだ大切な点は、米国のキリスト教が市民宗教であるというものだ。
それは、国家や民衆の利益と一つとなった宗教のこと。メディア、学校での教育、教会の講壇からの説教、講壇横に掲げてある星条旗などのシンボル、教会や地域の人々の考え方、語り継がれてきたアメリカの歴史、そのような中で2百年以上も育まれてきた米国のクリスチャンは、無意識のうちに、信仰と国家が一つとなる。私はなるほどと思った。
考えてみると、私たち日本のプロテスタントは、そのスタートから為政者とは距離があった。国内では圧倒的な少数派のままだ。
ところが、アメリカでは、プロテスタントは建国の時点から国づくりに直接かかわり、絶えず国難を共にしてきた。大戦中は日独伊のファシズムと戦って世界を守った。原爆を搭載したエノラ・ゲイは、チャプレンに祝福されて、広島に飛び立った。
戦後は、自由主義陣営の盟主として共産主義との戦いを始める。それは無神論に対してキリスト教を守る戦いでもあった。キューバ危機の時には、核の恐怖に怯え、戦争にならないように祈ったことだろう。ベトナムで共産化の動きが活発化すると、そのままでは周辺諸国も共産化していくという「ドミノ理論」に基づいて、ベトナムへの介入を拡大していった。
アメリカの教会は、ファシズムと共産主義に対し、国と一つとなって「正義」の戦いを進め、教会員の若者を祈りつつ世界各地に兵士として送り出してきたのだ。
そして、冷戦が収まったと思ったら、テロとの戦いが始まったのである。同僚の宣教師にとって、アフガニスタン爆撃は、疑問の余地のない当然のことだったのだ。
そのようなアメリカの信仰者の意識を、外国人の私が理解するのは簡単なことではない。歴史を少しかじったぐらいでは、真の理解には至らない。彼らの心の奥底に、そして体の隅々に深く刻まれたものがあるのだ。
しかも、そこで終わりではない。私の同僚にとっては、アメリカの福音派だけが担っている熾烈な戦いが加わる。それはリベラリズムとの戦いだ。
(以下はマースデンの著書)
*同労者を知る4 ラス・ステープルトンと緒論問題*
マニラの神学校で旧約聖書を教えていたのは、私とラス・ステープルトンの二人。ラスは、フィリピンでの第一期(1989-1993)の時に神学校で出会い、お世話になったアメリカ人宣教師だ。その時、博士号を取ることを励ましてくれた。私たちが修士号のためにアメリカにいたときは、母国奉仕で帰国していたご家族がわざわざ訪ねてくれた。博士号を取るためにイギリスにいた時も、休暇を使って家族で遊びに来てくれた。その時ラスは、「勉強が終わったら、一緒にフィリピンで教えよう」と誘ってくれた。第二期に教師としてフィリピンに戻った背景には、ラスの存在があった。
旧約の知識はすばらしく、信仰は敬虔、いつもにこにこして冗談ばかり言っている。深く尊敬する師であり、また、友人でもあった。
ある時、そのラスが教えている授業のことで、神学校を創設時から支えてきた4つの宣教団を巻き込む大問題が起こった。
神学校では緒論という授業がある。聖書の各書を誰が、いつ、どのような状況で書き、また、編集したのかを探る科目で、聖書解釈にとって大切な分野だ。たとえて言うと、『マクベス』という作品は、著者のシェークスピアという人物や、『マクベス』が書かれた社会状況などを知ると、より正しく解釈できる。聖書は『マクベス』と違って、数千年前に書かれたので、分からないことが多いが、聖書内外の資料から著者や背景に迫り、その書をできるだけ正しく解釈しようとする。
ラスは、米国系保守派の伝統的な考えではなく、イザヤ書には複数の著者がいると考えていた。それが問題になった。ラスが属する米国福音派のA宣教団は、それは許容できないとしたが、ラスは取り下げなかった。私が属していた米国福音派のB宣教団は、A宣教団と同じ意見だ。
ところが、この神学校に教師を送っているもう一つの宣教団、英国福音派のC宣教団は、わざわざ総裁が来比して、「C宣教団は超教派団体として幅広く諸教会に仕えているので、緒論の幅が必要だと考えている」と発言してラスを擁護した。そこに、この問題を知ったジョン・ストットというイギリスの著名な福音派のリーダーが手紙を書いてきた。彼は、この神学校の創設者の一人だったのである。彼は、「自分もイザヤ書の著者は複数いると思っているが、イザヤ書も聖書全体も神の言葉だと信じている。それで問題はないのではないか」と言うのだ。
議論は英米が対峙するようなかたちで平行線のまま進んだ。しかし、ラスを調査するために米国からA宣教団の調査団が来て、事態は大きく変わった。
彼らは1週間ほどラスを審査し、その結果が発表された。「ラスは奇跡を信ぜず、イエスの神性を否定する者で、A宣教団はラスを解雇する」というものだった。もちろん、その批判は事実無根の捏造だったのである。
*同労者を知る5 事件の背景:アメリカン・ストーリー*
幸いラスはC宣教団が引き受けることになり、続けて神学校で教えることができた。教授会や学生たちは喜んだ。私はA宣教団の言動が理解できなかったのだが、私が属するB宣教団の団長P師がその背景を話してくれた。
アメリカン・ストーリーと「ドミノ理論」
「ヨーロッパの教会は批評的な神学のために死んでしまった。キリスト教信仰を守ったのはアメリカの福音派で、その戦いの最前線が緒論である。伝統的な緒論を崩すとドミノのように、信仰までも崩れてしまう。」
アメリカ人の同労者が、どのように世界とアメリカの教会を見ているのか、教会史と緒論を見ているのか、目から鱗が落ちるように良く分かった瞬間だった。
P師が語ったストーリーに基づけば、アメリカの福音派だけが、キリスト教信仰の保持者・守護者となる。それ以外の人々は、ジョン・ストットやイギリスの他の福音的な神学者さえも、大きな間違いを犯していることになる。
そして、「ドミノ理論」に従えば、ストットらも、いつか信仰を失うことになるはずだ。しかも、主とみ言葉を愛する兄弟に対してさえ、手段を選ばない攻撃が神の名のもとに正当化される。(リベラル化を恐れるこのドミノ理論は、ベトナムの共産化を恐れたドミノ理論と似ている)
アメリカの福音派が果たした貢献は大きく、十分に認め、評価されるべきだと思う。P師のように、私が個人的に深く尊敬しているクリスチャンも大勢いる。しかし、同時に、アメリカの福音派だけを善、他を悪とするストーリー、そして「聖戦」を生み出す「ドミノ理論」は、どれほど真実に近く、また倫理的なのだろう。
世俗化の原因
教会の世俗化の原因を探るのは大切なことだと思う。しかし、その原因は、P師のストーリーよりもずっと複雑で複合的なものではないだろうか。本質的には霊の戦いであることも忘れてはならない。
また、この問題を扱うストーリーは、リベラリズムから始めるのではなく、最低でも啓蒙主義にまで遡らなければならない。啓蒙主義こそが、人間の理性を唯一のより所とし、教会と聖書の権威を否定し、社会全体を世俗化していったからだ(もちろん社会に貢献したことも計り知れないが)。そして、19世紀末から20世紀には、人の理性は有限で偏りがあることが認められてきた。その理性にたよって「神の存在と聖書の史実性」を否定しようとし、あるいは、それを証明しようとすること自体に限界がある。リベラリズムと福音派は啓蒙主義の子どもで、「仲の悪い双子の兄弟」と言われるのはそのためだ。論議するとしたら「緒論」ではなく、緒論や神学の前提となる認識論や20世期の意味の解釈学となるはずなのだ。
また、ストット師らの存在を考えると、当然のことながらドミノ理論は現代のイギリスには当てはまらない。
その後の検証は?
同僚の教師や学生に愛されていたラスは、あの出来事の後、間もなく重い病に伏し、何年かの闘病のうちに若くして亡くなった。私は今でも、ラスの発病は、この事件がきっかけになったのではないかという思いを捨てられない。何重もの意味で、あまりにも悲しい出来事だった。
ラスの事件から18年ほど経った。その間に、アメリカ福音派のストーリーとドミノ理論に対し、専門家による検証や修正がなされてきただろうか。その成果がより多くの方々に共有されることを切に願っている。ラスのような犠牲者をこれ以上出してはならない、絶対に出してはならないのだ。
*同労者を知る最終回「福音」の検証を*
もう一つ、私が何にもまして大切だと思うことがある。それは、「ドミノ理論」によって守られてきた「福音」そのものの検証だ。「市民宗教」(同労者を知る 1-3)に留まるのか、それを超えることができるのかという問いでもある。
福音の種はそれにふさわしい愛と平和の実を結ぶ。
その好例はジョン・ウェスレーだ。彼とその弟子たちがイギリスの社会にもたらした影響は計り知れない。刑務所環境の改善、児童労働の禁止、酒乱、賭博、スラムの生活の改善、国際関係に至るまで、数えきれないほどの改革をもたらし、イギリス文化を変えたとまで言われている。
愛と平和を求める思いは、時として、国益や国民感情、そして教会に反することがある。
18世紀末には、信仰が覚醒された国会議員ウィルバーフォースらは、奴隷制が非倫理的であると主張し、奴隷貿易を禁止する法案を提出した。反対したのは国会議員だけではなかった。教会の指導者も反対した。奴隷貿易によって莫大な利益をイギリス全体が得ていたからである。この法案は、数少ない献身的なクリスチャンによる孤独な戦いの末、ついに通過することになる。
20世紀初頭、帝国間の植民地争奪戦の端緒と言われる日露戦争に反対したのは、内村鑑三などのごく一部のクリスチャンで、教会は開戦を支持した。太平洋戦争中は、教会の祈祷会では米英に対する戦勝を祈り、占領地には、カトリック、プロテスタントとも日本への協力を教会に求める人材(宣撫官)を派遣した。
国の利益と民衆の感情、それに宗教指導者に抗してまで、人を愛し、平和を求めることは、簡単にできることではない。しかし、それこそがユダヤの地で主イエスがしたことだった。
ユダヤ人にとっての神の国は、敵であるローマに対してメシアが先導する武力闘争と民族独立だった。しかし、真のメシアがもたらした神の国は、剣を取らずに愛によってローマにも仕えるものだった。それは宗教指導者にも民衆にも受け入れがたいことだった。
弟子はその神の国に入れられただけでなく、愛と平和の実を結んで神の国を広げるよう託された。「神が崇められ、愛と平和に満ちた世界、神の国がついに来た。」それが良い知らせ、福音だったのである。
だから、人をイエスのもとに導き、洗礼を授けただけでは弟子としたとは言えない。
「わたしがあなたがたに命じておいた、すべてのことを守るように教えなさい」
私たち福音派のクリスチャンは、「山上の教え」にあるような主の教えを真剣に守ろうとしてきただろうか。教会の方針と違っても、教会堂の外に出て隣人を愛し、貧しい人を助け、病む人を癒してきただろうか。地域の人々の感情を逆なでしても、身分・性・人種の差別を乗り越えようとしてきただろうか。国益に反しても敵を愛し、世界に平和をもたらそうとしてきただろうか。一般の人々は、福音派クリスチャンの言動、また支持する政策や政治指導者を見て、キリストの愛を見ているだろうか。今、この時期、アメリカで。
また、日本で、そして世界で。
もし、そうでないならば、つまり、私たちが、「主の教えを守って愛と平和の実を結ぶ弟子」を生み出してこなかったのならば、私たちは自分が伝えてきた「福音」そのものを見直さなければならない。
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