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執筆者の写真島先 克臣

神と人を愛する小さな群れを目指して

更新日:11月3日

(2023年9月21日 日本伝道会議分科会「スモールグループ・セミナー」での講演)


youtube 動画21分はこちらです。講演原稿全文13分が以下にあります。聞くのと読むのとの時間の差がありますが、内容は同じです。



 本日は、聖書自体がスモールグループについて何と語っているかを学んでいきましょう。

 今の私たちにとっては驚くべきことですが、キリスト教会が生まれてから300年もの間、教会には「会堂」というものがありませんでした。しかも、女と奴隷の宗教だと見下され、たびたび迫害を受けていました。ところが、その300年間に、教会はローマ帝国内で確実に広がり、ローマ社会に影響を与え、ついには、国教にまでなりました。

 一体何が起こっていたのでしょうか、初代教会が迫害に耐え、人々の心を掴み、確実に成長した鍵は何だったのでしょう。本日は3つのポイントでお話しします。


I スモールグループの大切さ

 第一はスモールグループが重要であったことです。


 A 主イエスはスモールグループで弟子を育てた

 主イエスは、12人というスモールグループで弟子を育てました。「12」というのは、単にイスラエルの12部族を象徴的に表しただけではないと思います。主イエスは12人を側(そば)において飲食を共にしながら訓練し(マコ3:14-15)、12人に特別に教え(マコ9:34以降)、派遣し(マコ6:7)、エルサレムに近づくと、そこで起こることを12人だけに話しました(マコ10:32以降)。エルサレムに入って過越の祭りを祝ったのは、この12人とでした(マコ14:17以降)。

 大切な働きを担う人材を育てるのは、少人数でしかできません。イエス様でさえ、多人数ではなく、また、七十人の弟子でもなく、12人のスモールグループで人を育てたのです。



 B 教会はハウスグループによって構成されていた


 ペンテコステ以降の時代も、スモールグループは重要でした。当時、クリスチャンは、いくつもの家々に集っていました。本日は、それをハウスグループと呼びます。そのハウスグループの様子を「使徒の働き」から見ていきましょう。


  1 パンを割き、食事をするハウスグループ(2:46)

 エルサレムではペテロの説教で、3000人ものユダヤ人が悔い改めました。その人たちは、礼拝は神殿でささげましたが、食事とパン裂き、つまり愛餐と聖餐式は何十もの家々に分かれて行いました(2:46)。


  2 パウロが荒らした家々にある教会(8:3)

 サウロ、後のパウロによるクリスチャンに対する迫害を見ますと気づくことがあります。サウロは、「家から家に押し入って、教会を荒ら」したと記されています(使徒8:3)。なぜでしょうか。それは、家々にいたクリスチャンが、教会だったからです。


  3 ペテロのために家で祈るハウスグループ(12:5、12)

 ペテロがヘロデ・アグリッパによって捕らえられると、「教会では彼のために、熱心な祈りを神にささげていた」(使徒12:5)とあります。その「教会」とは、会堂ではなく、「ヨハネの母マリアの家」(使徒12:12)のクリスチャンでした。


  4 親族や親しい友人を含むコルネリウスのハウスグループ(10:2、24)

 カイサリアでは、百人隊長コルネリウスの家にペテロが来ることになりました。その家には、コルネリウスの「家族」(10:2)だけでなく「親族や親しい友人たち」(10:24)も集まっていて、ペテロの説教によって回心しました。おそらく、その後も回心者たちはコルネリウスの家に集ったことでしょう。


  5 兄弟たちが集まるリディアのハウスグループ(16:40)

 パウロによるピリピ宣教では、リディアのに、彼女の家族や他の回心者たちが集うようになり(16:14-15、40)、エペソ教会として成長していきます。


  6 宣教の拠点となるコリントのハウスグループ(18:1-4、7、11)

 コリントでは、アキラとプリスキラの(18:1-4)、そして「ティティオ・ユスト」の(18:7)にパウロは滞在して、一年半にわたるコリント宣教を行いました


  7 ローマ教会のハウスグループ(ロマ16:3-16)

 ローマ教会はどうでしょう。パウロはローマ教会に宛てた手紙の最終章で、いくつものハウスグループとスモールグループに挨拶を送っています。それは、プリスカとアキラの「」(ロマ16:5)、「アリストブロの」(16:10)、「ナルキソの」(16:11)、「アシンクリト…とともにいる兄弟たち」(16:14)、「フィロロゴ…とともにいるすべての聖徒たち」(16:15)でした。ローマ教会も、いくつかのハウスグループやスモールグループによって構成されていたことが分かります。


  8 長老たちが導くハウスグループ(14:23)

 ここで、長老について一言触れます。パウロは、小アジアの町々で伝道すると、教会ごとに長老たちを選んで教会を任せました(14:23)。つまり、一つの町にいくつかのハウスグループがあったとしても、その全体を導く指導者、長老たちが選ばれたのです。おそらく長老の多くはハウスグループのリーダーでもあったと想像できます。


  9 まとめ

 以上のことを一言でまとめてみます。当時、一つの町にあった教会は、いくつかのハウスグループによって構成されており、その全体を長老たちが導いていた、ということです。


 C まとめと適用


  1 まとめ

 今日の第一のポイント、それは、スモールグループが重要だったことです。主イエスの弟子も、初期の教会も、クリスチャンはスモールグループで訓練され成長しました。スモールグループにおいて次世代のリーダーが育まれました。

 当日の教会では信徒を中心とするハウスグループが主体でしたから、フルタイムの教職の数はそれほど必要ではありませんでした。会堂を建てて管理するお金も時間も必要ありません。会堂がなく目立たなかったので、その分ローマ当局からの迫害も受けにくかったことでしょう。

 教会が確実に成長した300年の間、スモールグループ、ハウスグループこそが教会の力、成長の源だったのです。


  2 単純な図式ではないが、試してみよう

 私はここで「スモールグループを取り入れさえすれば、全てうまくいくのだ」という単純な図式を示しているのではありません。教会が2000年の歴史を通して学んできたことも大切にすべきです。ただ、ここで私が申し上げたいのは、最初期の教会がスモールグループやハウスグループを中心に成長していった歴史がある。私たちも、そのことを思い巡らし、何かしらの形で試してみる価値があるかもしれない、ということです。

 そこで、お勧めしたいことがあります。

 今、すでにスモールグループを導いておられる方は、ご自分の働きが重要であることを確認していただきたいと思います。

 また、スモールグループを導いておられない牧師先生や信徒リーダーの方々は、スモールグループを始める可能性を探るのはいかがでしょうか。今日この分科会に出席されているみなさんは、そのような思いがおありなのだと思います。


 あまり大袈裟に考える必要はありません。例えば、礼拝直後、あるいは、週日に、数人の人が集まって日曜礼拝の説教で教えられたことを分かち合うのならば、すぐに始められます。あるいは、聖書同盟の「みことばの光」や「聖書を読む会」の手引、その他の教材を使ってスモールグループを始めることもできます。


 では、スモールグループで何をするのでしょうか。もちろん共にみ言葉に聞くことです。しかし、それだけではありません。ゆったりと語り合う、お互いの仕事や家庭のこと、痛みや苦しみ、喜びや将来の夢に耳を傾けるのです。そして、冗談を言って大声で笑う。具体的に助け合う。たまには一緒に遊ぶのはどうでしょう。つまり、みことばを中心に人と人が出会い、心を開き、愛し合う場。それがスモールグループです。


  5 十字架の愛が土台

 そのためには、イエス様の十字架に表された神様の愛が、一人一人の心に染み込んでいかなければなりません。そうしなければ、私たちは、クリスチャンらしさを装ってしまって心を開けません。他人を裁いてしまいます。スモールグループが新たな律法・重荷となり、互いに愛すべきなのに、人を動かそうとしてしまいます。スモールグループにとって欠かせない土台、それは神に赦された者として、赦しあうというものです。

 ですから、望ましいスモールグループはすぐには実現しないかもしれません。しかし、時間をかけて、そこに向かっていけばよいのです。色々な事情でなかなかうまくいかなかったら、数ヶ月でやめてもよいでしょう。リアルが難しいなら、オンラインで行ってもよいのです。まず期間限定でとにかく試してみるのはいかがでしょうか。

 第一のポイント。初代教会においては「スモールグループが重要だった」ことを見てきました。


II ハウスグループは「神と人を愛した小さな群れ」

 第2のポイント。「ハウスグループは、神と人を愛する小さな群れ」だったことです。そもそもハウスグループでは何が行われていたのかを先ず見ていきます。


 A 教会の機能


 1. 最初期の教会では、食事とパン裂き(2:46)、つまり、愛餐と聖餐式は家々で行われていました。ステパノの殉教のあとは、礼拝と賛美も家で行われるようになり、祈り会も家で持たれ(12:5)ました。


 2. 使徒たちは「毎日、宮や家々でイエスがキリストであると教え、宣べ伝え、と5:42に記されています。つまり、「旧約聖書で預言されていたメシア、キリストはイエスである」という宣教と教育も家々でなされたのです。


 3. 本日は詳しくは触れませんが、当時のハウスグループの大切な働きとして旅人をもてなすことがありました。


 4. 愛の実践

 あまり注目されてきませんでしたが、実際は非常に大切なのが、クリスチャンの愛の実践です。「信者となった人々は…財産や所有物を売っては、それぞれの必要に応じて、皆に分配していた」(2:44-45)とあります。エルサレム教会はその後、貧しいやもめの必要に応えて配給システムを作っていきました。クリスチャンは互いに助け合って、神の愛を目に見える形で示しました。その結果、周りの人々に好意をもたれたのです。

 また、教会内部だけではありません。クリスチャンはドルカスのように(9:36-39)、近所の貧しい人も助けていました。


 その後、教会はどうなったのでしょう。実はクリスチャンの愛の実践は増していったのです。ローマ社会が政治・経済のさまざまな面で劣化し、共和制時代からあったローマの誇る倫理、ノブレス・オブリージュが低下していく中、ローマ社会では貧困層が拡大し、不安が増していきました。その中でクリスチャンは平安と希望を持ち、生活面でも助け合っていました。人々はその姿を見て惹かれていきます。加えてローマ軍が弱体化し、北方の異民族が国境を超えて侵入してくると、難民が地中海沿岸の諸都市に流れ込んできました。その難民を率先して助けたのがクリスチャンでした。また疫病が度々ローマ社会を襲ったのですが、その時、自らの命をかけて病人を手当したのもクリスチャンでした。そのような愛の実践を見て、人はクリスチャンの輪の中に入っていったのです。

 そのような愛の実践の舞台となったのは、会堂がなかった当時、クリスチャンの家だったことでしょう。


 B まとめと適用

 まとめます。ハウスグループでは様々な働きがなされていましたが、それを、一言で表すことができます。それは、神と人を愛することです。


  1 一言で表すと

 神様を心から愛するがゆえに、クリスチャンは家々で礼拝と賛美を献げ、み言葉に聞き、共に祈り、パンを裂きました。神様を心から愛するが故に、聖さを保ち、帝国の迫害に屈しませんでした。それゆえに、帝国市民の尊敬を受けたのです。

 またクリスチャンは、人を心から愛するがゆえに、食事を共にし、互いに助け合い、旅人をもてなしました。人を心から愛するが故に、周りの貧しい人、困っている人、難民やパンデミック患者さえも助けていったのです。


  2 主イエスの教えの中心に聞き従った

 主イエスが公生涯で教えたことの中心は、山上の教えを見ると分かります。それは「徹底して神と人を愛すること」でした。当時のクリスチャンは、主イエスの教えを学んだだけではなく、実践しました。み言葉を聴いただけではなく、従いました。その結果、当時のハウスグループは「神と人を心から愛する小さな群れ」となり、その小さな群れの生き様、愛の実践が、ローマ社会の人々を魅了し、ローマの異教文化を内側から変革し、300年の間に帝国全体を大きく変えていったのです。


 以上見てきな第二のポイント、それは、「ハウスグループが、徹底して神と人を愛した小さな群れだったこと、そして彼らの愛の実践が帝国さえも変革した」ということでした。



III クリスチャンは旧約聖書のメシア像を理解した


 A クリスチャンは、旧約聖書のメシア像を知っていた

 本日の第三、最後のポイントです。それは、当時のクリスチャンは「旧約聖書のメシア像を理解していた」という点です。このポイントは、本日は時間が限られているので、ごく一部、一面しか申し上げられません。詳しくは、「聖書を読む会」発行の小冊子「神のご計画」をお読みください。

 この最後のポイントは、第二のポイントと直結しています。なぜ当時のハウスグループのクリスチャンは、愛を実践することにそれほどコミットしたのか。その理由の一つが、旧約聖書のメシア理解にあるからです。


  1 メシア待望

 一世紀のユダヤ人は幼いころから旧約聖書のメシア預言を聞いて育ち、メシアを待望していました。ですからルカ1章のマリアの讃歌を見ますと、若きマリアでさえ、旧約聖書のメシア預言を知り、メシアに対して明確な期待を抱いていたことがわかります。アンナやシメオンも同じでした。バプテスマのヨハネも、「おいでになるはずの方はあなたですか」(マタ11:3)と尋ねています。


  2 正しいメシア像を説く使徒たち

 「使徒の働き」の最初の数章にあるペテロの説教(2:14-36、3:12-26)は、その点で注目に値します。当時のユダヤ人は、メシアについて誤解していました。自分たちをローマの支配から武力によって解放し、イスラエルを国家として再興するのがメシアだと思っていました。ですから、異教徒ローマによって十字架にかかったような人物はメシアではありえないと考えたのです。そこで、ペテロは、イエス様の十字架と復活に焦点を当て、正しい旧約のメシア像を伝えようとしました。ペテロだけではありません。使徒たちが、地中海全域に出ていって伝えたのも、「イエスこそが旧約聖書が預言したメシアなのだ」というものでした。


 B なぜ重要?

では、なぜこの点が第二のポイントの「愛の実践」と関わっているのでしょうか。

 その理由は一言で言うと、


旧約聖書が述べる メシアの使命は、この地上全体を神への愛と、人への愛で満たすこと


だからです。


  1 メシアの使命

 思い出してください。アダムとエバが神に背いた結果、私たち人類は神への愛、人への愛を失いました。そのため、地上は、偶像礼拝、搾取と戦争、環境破壊に覆われるようになりました。しかし、旧約聖書は多くの箇所で預言していました。メシアが来ると、全地が神と人への愛に満ちる、正義に満たされる、平和と豊さが全地を覆う、と。

 真のメシアであるイエス様はその預言を成就するために十字架にかかりました。罪を赦して、神と人を和解させただけではありません。十字架によって私たちを「罪の奴隷」から解放し、私たちが愛を選択できるようにされました。主イエスは復活し、天に昇り全地の王となって世界を治め始めました。そして、主はご聖霊を遣わして、私たちが愛を実践できるようにされたのです。これを理解した当時のユダヤ人クリスチャンは、徹底的に神を愛し、徹底的に人を愛する生き方を、ご聖霊によって始めたのです。


  2 包括的福音理解

 この理解は現代風に言えば、包括的福音理解ということができます。今、幸いなことに、第六回神戸伝道会議のメインスピーカー、クリス・ライト氏が語っているような包括的な福音理解、ケープタウウンで開かれたローザンヌ会議で出された宣言に見られる包括的な福音理解が、急速に福音派の指導者の間で広がっています。

 最近では世界的な宣教団OMFもこの福音理解にシフトしました。彼らは、今、都市部では、そこの貧しい人々や、そこに流入してきた人々を助け、地方では、持続可能な食料を生産するよう指導し、環境問題への助言をするようになりました。現在センド宣教団の宣教師が宣教地するよう指導されていることは、地域社会の一番困っている人を見つけ出し、その隣人となることです。もちろん、彼らは福音を伝えます。しかし、彼らの愛の実践は、単なる救霊の手段ではなく、それ自体が主の命令であり、主がその見本を示したと捉えているのです。今後はますます、福音派の福音理解と実践は包括的なものへと変わっていくでしょう。


  3 まとめ

メシアであるイエス様は、全世界を神と人への愛に満ちた世界にしようとしています。ですから、イエス様の手足である私たちも、ご聖霊により頼みつつ、徹底的に神を愛し、徹底的に人を愛して生きていくことを目指します。そして、自らがそのような弟子となり、またそのような弟子を作ろうとします。それが大宣教命令です。

 本日の第三のポイント、それは、「当時のクリスチャンは旧約聖書のメシア像を正しく理解した。そのために、愛の実践に徹したのだ」というものでした。



IV 結語

 私は今、世界の教会が大きく変わりつつあると感じています。現在、世界各地で、このような小さな群れ、「神と人を心から愛する小さな群れ」が生まれ、育っています。これが、21世紀に入った教会の特徴的な動きです。

 そのような小さな群れが、紀元1世紀から3世紀の間にローマ社会を変えました。そのように、21世紀の日本社会をも変えていけるのではないか、と私は個人的に夢見ています。

 この分科会を共催した三団体は、みなさんがそのような「神と人を愛する小さな群れ」として歩んでいくために、少しでもお役に立ちたいと願いつつ、活動しています。

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