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執筆者の写真島先 克臣

美しい世界を託されたものとして

更新日:4月17日


以下は、日本福音同盟(JEA)の英語のニュースレター、Japan Update(2024年春号)に掲載された、私の妻、島先夏子のエッセイのオリジナルの日本語版です。良い英語に訳していただきました。



島先夏子


 私は1954年東京で生まれました。14歳になる年の春、兄が癌で亡くなりました。息子を失った父は、「何が息子の命を蝕んだのか」と考えました。当時の日本は、戦後の貧しさから立ち上がり、大量生産、大量消費の時代に突入していました。大気は汚染され、幼い頃に川遊びをした多摩川は家庭からの中性洗剤と工場排水で泡立っていました。化学調味料と農薬漬けの野菜によって家庭の食卓は汚染され、原発の建設が始まろうとしていました。私たちの生活は否応なく「発がん物質」という、何か恐ろしげなものに取り囲まれていたのです。父は息子の死をきっかけに、人の健康と自然界にとって危険なこの動きに警鐘を鳴らそうと、仕事を辞めてミニコミ誌を発行し、反公害・反原発運動を始めました。1970年代です。

 

私の回心と福音派の教会

 家族全体が「兄の死」を経て生き方が問われるなかで、私は高校生の時(1972年)に信仰を持ち、その後聖書学校に入りました。私は、その寮で使われていた中性洗剤や化学調味料の問題を指摘し、学生たちと語り合おうとしたのですが、大抵は「それは罪の問題。だから伝道が大切」という結論でした。もし公害が罪の結果ならば、生活を変えてそれを改めるべきなのに、なぜそうしようとしないのか、私には理解できませんでした。その上「あなたは社会派」というレッテルを貼られ、語り合いはいつも歯車が合わない感じで終わりました。

 一方、父のところに集まってくる若者たちは、真剣に社会を変え、人と自然を守る生き方を目指していて、私はそこに魅力を感じ、何度もキリスト教信仰から離れようと悩みました。しかし、「歴史を振り返れば、教会は2000年間過ちを犯し続けてきたが、その歴史の中に輝く星のようなキリスト者がいたからこそ、私にまで福音が届いた。そうであれば、教会がどうあろうと、私自身が星のように輝くことが求められているのではないか」と気づき、信仰にとどまりました。二十歳の時でした。

 

食の問題

 伝道者と結婚することになった時に父から贈られたはなむけの言葉は「宣教師にだけはなるな。彼らは、自然と共に生きてきたアジアの人々の価値観を壊し、物質主義を植え付け、環境を破壊して利益を貪る西洋の先兵だ。」そして「どこにいても種を蒔け」というものでした。日本での牧会の後、父の意に反してフィリピンへの宣教師となり、夫の留学のためにアメリカ、イギリスで暮らし・・・その間、アジアの国に宣教師として暮らすことの意味を問い、どこにいても種を蒔いてきました。

 

 日本の食料自給率は38%(カロリーベース)ですから、食卓には外国からの食品が当たり前のように乗っています。しかし、その背後には色々な問題が潜んでいます。輸送するときに化石燃料を消費します。海上輸送のためにシーレーンを安全に保つ必要がありますが、そのための軍事費の支出や戦争の危険があることは十分に意識されていません。日本で荷揚げするための港湾整備と国内の道路網のための費用も、その値段に反映されていません。また、原産国では子どもたちが過酷な状況下、低賃金で働かされる場合があり、価格の高騰によって現地の人々の食を脅かしているケースもあります。そのほかにも、食肉を生産するための森林破壊。牛や豚の排出する温室効果ガスなど、私たちが「普通の生活」と考えている裏には問題が山積みの時代なのです。私たちは、神様が豊かに与えてくださっている食料と美しい地球を、多くの人々と分かち合うようにと招かれているのですから、今こそ根本的に価値観を変え、生活を具体的に変える必要があるのです。

 

どうしたら?

 私が心がけていることは、種を蒔いて野菜を育てること。「今あるもので満足する」シンプルな生活を目指し、与えられているものを大切にし、持っているものは分かち合うこと。生活の中で工夫してエネルギー消費を持続可能型に変えること。

 経済を動かす消費行動こそが社会に対して一番力があるはずなのですから、私たちが広告に踊らされない消費者になれたら、世界は変わるでしょう。いや、たとえ社会を変えることができなくても、そのように生き続けなければならないと思います。「何かをし続けるのは、自分が世界を変えるためではなく、世界に自分が変えられないためだ」という言葉があります。生活の中で考えることをやめたとき、私もまた、「より早く、より安く、より多くのものを世界中から集めて消費する」というグローバル資本主義の渦の中に巻き込まれてしまうでしょう。


教会は

 1974年にローザンヌ誓約が出されて社会的責任が説かれるようになった時、私は教会の変革に期待しました。しかし、日本の教会は変わりませんでした。最近では、世界福音同盟の「持続可能センター」が『聖書とSDGs』を発行し、それが日本語に訳されています。福音理解も、環境や正義に取り組むべきことを後押ししてくれる包括的な理解に変化しつつあります。この動きが掛け声だけで終わらず、クリスチャン一人ひとりの価値観と生活が根底から変わっていけるのかどうかは、私にはわかりません。どちらにしても、50年間そうしてきたように、私自身は一人であっても主のみ前に納得できる生活を、楽しく、美しく、コツコツと続けていくつもりです。

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