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アブラハムへ語られた祝福の約束

更新日:7 日前



 創世紀12章1-3節に記されているアブラハムへの約束は旧約聖書だけではなく、新約聖書までも貫いていて、聖書の中心的な約束の一つと言えるでしょう。その箇所ではまず、アブラハムの子孫が祝福され、次にその子孫によって地の全ての部族が祝福されると記されています。では、それはどのような意味なのでしょう。それを知るためには、創世紀12章以前に出てくる祝福(brk、brkh)という言葉を見なければなりません。


創世紀

A 全地に満ちていた祝福

 「祝福」が最初に出てくるのは、1:22で、動物たちへの祝福の言葉です。


神はそれらを祝福して、『生めよ。増えよ。海の水に満ちよ。鳥は地の上に増えよ』と仰せられた。


次に出てくるのは1:28で、人類への祝福の言葉です。


神は彼らを祝福された。神は彼らに仰せられた。「生めよ。増えよ。地に満ちよ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、地の上を這うすべての生き物を支配せよ。」


 また、直後の29節と30節では、動物に対しても、人類に対しても食物を備えると言われています。つまり、神が動物と人類を祝福する時に何が起こるのかといえば、それは、動物と人類が、豊かに食べ物が与えられ、子どもを産み、数が増え、全世界に満ちていくことです。人類はそれに加え、「支配せよ」とあるように地上全体を正しく治めるようになることです。そして、その全体像は31節にあるように「非常に良かった」ものでした。これが天地創造の時に全地に満ちていた祝福です。


 祝福という言葉が次に出てくるのは2:3で、第七日への祝福が述べられています。その次が5:2です。5:2は1:28の人類への祝福を振り返っています。


 つまり、最初の四つの祝福という言葉から分かる神の祝福とは、動物も人類も十分に食べ、美しい世界に満ちていき、人類がその全てを神の愛と神の正義によって治めていく(この点に関してはエッセイ「神の像」参照)、これが、天地創造の時の祝福でした。


B 祝福の喪失

 ところが、人間が神に背いた結果、豊かに糧を生み出していた大地は呪われていばらとあざみを生じさせるようになりました。人が糧を得るのは困難になり、地を治める務めは喜びから苦しみになり、罪の故に正しい治め方が歪んで地上には暴虐が増しました。しかも、人は死ぬ者となりました。つまり、全地に満ちていた祝福が、人の罪の故に失われたのです。


C ノアによる再出発

 さて、五回目が創世紀9:1。洪水直後の神の言葉です。


神はノアとその息子たちを祝福して、彼らに仰せられた。「生めよ。増えよ。地に満ちよ。」


 この命令は、創世紀1章でアダムとエバに命じたものです(1:28)。しかも、9:2では、生き物を彼らに「委ね」、9:3では動植物を食物として与えると言われています。動物を食べることを許可したという点を除けば、ここは明らかに創世紀1章の命令と食物に関する神のご配慮が繰り返されています。

 これは何を意味しているのでしょう。神は地上の悪を一掃したのち、人類に再出発のチャンスを与え、罪の故に失われた祝福を世界に回復しようとされたのです。


D ノアたちの失敗

 ところがノアの子孫たちは、祝福を回復する使命を果たす事ができませんでした。バベルの塔では、神に反抗し、「地を満たせ」という神の命令に逆らいました(11:4)。結局、ノア以降の人類も、自らの力では神の祝福を地上に回復することはできなかったのです。


E アブラハムへの三つの約束と祝福

 そこで、神はアブラハムという人物を選んで約束を与えました。それが創世紀12:1-3、ならびに7節です。その内容は


第一に、アブラハムの子孫に土地を与えること 第二に、彼らを大いなる国民とすること 第三に、その子孫を祝福し、その子孫によって全世界を祝福することです。


 この短い1-3節の中で祝福という言葉が五回も使われています。これが創世紀の中で祝福という言葉が使われた第六回目のものです。

 祝福という言葉(brk, brkh)が一番多く使われているのが、創世紀(88回)、次が詩篇(83回)、3番目が申命記(51回)です。創世紀の88回を見ますと、ほとんどがこの三つの約束の延長であることがわかります。つまり、アブラハムの子孫に土地を与え、子孫が増え、農産物も豊かで、大いなる国民となる。そのような祝福が他の部族にも及ぶ。これが祝福として繰り返し、繰り返し約束されています。それが創世記です。


F まとめ

 以上のことをまとめます。ノアの子孫たちは、再出発のチャンスが与えられ、世界に神の祝福を回復するように期待されたのですが、その期待には応えられませんでした。そこで、神ご自身が祝福の回復のために重要な一歩を踏み出します。それがアブラハムの子孫、イスラエルの召命です。神はイスラエルを選び、イスラエルをまず祝福する、次に、彼らを通して世界を祝福すると約束しました。つまり、神がイスラエルを召したのは、世界にもう一度、天地創造の時の祝福を回復するためだったのです。


申命記

 詩篇は150篇もあるので、祝福という言葉の頻度が多いのはわかります。申命記が多いのはなぜでしょう。それは、申命記の中でも祝福という言葉が頻出する28章から30章を見ると明確になります。

 28章でモーセは、もし律法に従えばあなた方は祝福されると語ります。その祝福の内容は、子孫が増え、農産物の収穫が豊かになり、家畜も増え、敵に勝利し、イスラエルを聖なる民として立て、地上の民が恐れるようになるというものです。これは、まさに、天地創造の時の祝福であり、創世紀12章の祝福そのものです。逆に、もし律法に従わないならば、呪われると述べられ、その呪いの内容は、祝福の全く逆のこと、アダムとエバが創世紀3章で経験したことの延長です。

 申命記には律法に従うと与えられる祝福が他の箇所にも色々記されていますが、その表現はエデンの園の豊かさと同様の言葉が使われています(詳しくは、聖書を読む会発行『神のご計画』参照)。つまり、神は、律法を通してエデンの園のような祝福をカナンの地に回復しようとしました。また、イスラエルを通して、その祝福を全地に回復しようとしました。それを明らかにするのが申命記の「祝福」なのです。


イスラエルのその後

 では、全地への祝福という使命を負った神の民イスラエルはその後どうなったでしょう。あくまでも律法に逆らい続けたので、祝福を受けることなく捕囚という懲らしめを受けることになりました。帰還後も、本当の意味で神に立ち帰ったとは言えない状況でした。

 このままでは、神がアブラハムに語った祝福の約束はどうなるのでしょうか。


新約聖書

 神は幾人も預言者を遣わし、神と律法に立ち帰るように民に告げましたが、イスラエルは聞きませんでした。そこで神は、ついに、ひとり子を遣わしました。バプテスマのヨハネとイエスがまず語ったのが「悔い改めなさい」であったこと、イエスが遣わされたのは、異邦人ではなく、イスラエルであったことを思い出しましょう。イスラエルが異邦人を祝福するようになるには、まず自らが悔い改めて祝福を受けなければならないからです。

 新約聖書の祝福(ユーロゲオーとユーロゲートス、合計68回)を見るといくつか重要なことがわかります。


A 使徒の働き3:25-26

 ペンテコステの後に、ペテロは同胞のユダヤ人に悔い改めを迫る説教をしました。その中でこう語っています。


あなたがたは預言者たちの子であり、契約の子です。この契約は、神がアブラハムに『あなたの子孫によって、地のすべての民族は祝福を受けるようになる』と言って、あなたがたの父祖たちと結ばれたものです。神はまず、そのしもべを立てて、あなたがたに遣わされました。その方が、あなたがた一人ひとりを悪から立ち返らせて、祝福にあずからせてくださるのです。’(使3:25-26)


 イエスが来たのは、イスラエルが神に立ち返り祝福を受けるためであること、そしてイスラエルが祝福を受けるのは、異邦人を祝福するためであることがはっきりと述べられています。創世紀12章でアブラハムに語った祝福の約束が、神のひとり子によってついに成就し始めるのです。

 では、まず、イスラエルが、次に異邦人が受けることになる祝福とはどのようなものでしょうか。果たして、旧約聖書で神が望んできた祝福とは違って、新約聖書の祝福は霊的で天的なものへと変化するのでしょうか。いえ、神の救いのご計画は変質することはありません。完徹されます(ただし、当時のユダヤ人が期待していた形とは違う面がありましたが)。


B ガラテヤ

 ガラテヤ書を見ましょう。特に3:8、14、26、29の四つの節に注目します。


3:8 聖書は、神が異邦人を信仰によって義とお認めになることを前から知っていたので、アブラハムに対して、「すべての異邦人が、あなたによって祝福される」と、前もって福音を告げました。

3:14 それは、アブラハムへの祝福がキリスト・イエスによって異邦人に及び、私たちが信仰によって約束の御霊を受けるようになるためでした。

3:26 あなたがたはみな、信仰により、キリスト・イエスにあって神の子どもです。…3:29 あなたがたがキリストのものであれば、アブラハムの子孫であり、約束による相続人なのです。


 ここではっきりと述べられているのは、アブラハムを通して約束された約束とは、異邦人が信仰によって義とされること、聖霊を受けること、神の子どもとされ相続人となることです。私たちはこの箇所を読んで、信仰義認によって天国へ行くのが新約の祝福なのだと解釈してきたかもしれません。相続するのは天国である、と。

 しかし、果たしてそうでしょうか。この「相続人」となるという言葉に注目したいと思います。


C ロマ4:13

 ロマ書4:13をまず見てみましょう。


というのは、世界の相続人となるという約束が、アブラハムに、あるいは彼の子孫に与えられたのは、律法によってではなく、信仰による義によってであったからです。


 創世紀12章では、アブラハムの肉による子孫がカナンの地を相続すると書かれていたのでが、パウロによれば、それは、アブラハムの信仰による子孫(ユダヤ人であっても、異邦人であっても)が全世界を相続することを意味したというのです。これは驚くべき発言です。

 つまり、神が計画した祝福というのは、信仰によって義と認められた者が、ユダヤ人であっても異邦人であっても、真のアブラハムの子孫、神の子どもとされる。そして、彼らがカナンの地だけでなく、全世界を相続することだというのです。

 重要なので、繰り返します。信仰義認の目的は、ユダヤ人も異邦人も、神の子どもとなって、地上世界全体を相続することなのです。


D ロマ書8章

 では全世界を相続するというのは何を指すのでしょう。それはロマ書8章でパウロが詳しく展開しています。ここで詳しく見ていくことはできないので、その要約を申し上げます。

 まず8:17を見ましょう。


私たちはキリストと、栄光をともに受けるために苦難をともにしているのですから、神の相続人であり、キリストとともに共同相続人なのです。


 ここで、クリスチャンは、キリストと共に全世界を相続する共同相続人だとパウロは述べています。

 私たちクリスチャンが、うめきつつ、聖霊に助けられながら、同じようにうめいている全被造世界のために祈り、働く。本来の祝福に満ちていた世界を今、ここで回復していく、それは、キリストと苦難を共にすることです。しかし、キリストの再臨の時に、その労苦が完成し、報われ、栄光に変えられます。

 その栄光とは、クリスチャンが、キリストと共に王として世界をとこしえに治める栄光であり、またそれは詩篇8篇5-8節の栄光の回復だと言えるでしょう。それは黙示録22:5で、「彼らは世々限りなく王として治める」と記された栄光です。

 その日には、全被造世界は滅びの束縛から解放され、詩篇にあるように、動物たちも、草木も、山も川も歓喜の声を上げます。これがアブラハムに約束した祝福の回復であり、イエスが述べた、祝福されたものが御国を「受け継ぐ」(相続と同じ言葉)ことなのです(マタ25:34)。


終わりに

 最後に、ケープタウンで開かれた第三回ローザンヌ会議ケープタウン決意表明の主たる著者、また、日本伝道会議のメインスピーカーでもあったクリス・ライトの言葉を引用します。クリス・ライトは、『救いは私たちの神のもの』[1]という自身の著書の中で次のように述べています。


族長への祝福の約束は、人類に対する本来の神の計画を言明するものである。(46)


本来の神の計画とは、神の救いのご計画なのですが、ライトはキリスト教の救いについてこうも語ります。


神の救いは、被造世界と人類に対する神の祝福を回復することである。(50)


 天地創造の時に全地に満ちていた神の祝福は、人の罪の故に失われてしまいました。しかし、神はその祝福を全地に回復しようとしている、それがキリスト教の救いなのだとクリス・ライトは語り、さらに次のようにも述べています。


救いというのは、人々を被造世界から他の世界(天国を指す、筆者注)へと救い出すことではなく、神の贖いと変革の力により、神の祝福を被造世界に回復することである。(64)(下線、筆者)


 クリス・ライトはハワイで講演した時、キリスト教会にとって喫緊の課題は正義と環境だと語りました。ケープタウン決意表明でも、神戸の伝道会議での説教(「再生へのリビジョン」)でも、基本的に同じことが述べられています。

 天地創造の時の神を中心とした世界、全地に満ちていた愛と正義、豊さと平和、人が被造世界を正しく管理すること。そのような祝福を世界に回復していくという歩みに私たちクリスチャンは召されています。

 そして、その歩みは苦難に満ちているとパウロは上記のロマ8:17で語りました。しかし、その直後の18節ではこう述べます。


今の時の苦難は、やがて私たちに啓示される栄光に比べれば、取るに足りないと私は考えます。


 栄光に至るという神の言葉を信じて、私たちは「今の時」を歩みたいと思います。



付記

 「義認、聖化、栄化」がこのエッセイでは

一個人が、罪赦され、徳を増し、天国で完成する

というものから、

信仰によって義と認められ、神の子どもとして世界を相続する者となり、

地上に祝福を回復するために聖霊によって変えられ続け、

ついには、キリストと共に地を治める栄光をいただく

というように再定義されていることにご注目ください。

[1] Salvation Belongs to Our God (Langham Global Library, 2013).

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