はじめに
聖書は、「人は地上で造られ、永遠に地を治める」という歴史を語ります。また、神が造られた肉体と世界を基本的に良いものと見ています(簡単な要約は「福音の深さ、広さを(3)」、より詳しくは、拙論『包括的福音理解を求めて』以下『包括的』参照)。
では、「人は天から来て、天に帰る。肉体と世は卑しむべきもの」という教えはどこから来たのでしょう?
このルーツを探る旅は、紀元前5世紀のギリシアから始まります。
(引用元や正確な引用文は、『包括的』を参照してください。)
1. ソクラテスとプラトン
紀元前5世紀末に生きたギリシアの哲学者ソクラテス、そして、その弟子のプラトンは、次のように考えていました。
ソクラテス プラトン
人は理性的な魂であり、天上で神によって造られた。ところがその魂は、地に落とされ、現在は、汚れた肉体の中に囚われ、下等な物質世界に置かれている。そこで、死後、肉体と世を逃れて天に帰ることが救いである。
「人の魂は天から来て、天に帰る。肉体と世は卑しむべきもの」という教えは、実はソクラテスとプラトンから来ました。この考え方は、日々の生き方に影響を与えます。ソクラテスは、自分の魂が汚されないように、肉体を蔑みつつ、禁欲的な生活を送りました。
それでも、限界があるので、死ぬことによって肉体から解放されることを待っていたのです。紀元前399年、ソクラテスは無実の罪で死刑宣告を受けました。そして死刑執行人から毒杯を受ける日に、こう言っています。
人の魂は不滅だ。死ぬと魂は肉体から離れて、天上の幸福へと向かうのだ。
ソクラテスは自らの思想どおりに生き、死んでいきました。その人間観、死生観、そして最期の有様は、西洋社会に大きな影響を与えることになります。
2. プルタルコス
ソクラテスとプラトンの時代から450年以上経った紀元一世紀後半は、パウロが活躍していた時です。
ちょうどその時期に、ギリシア中部のカイロネイアにプルタルコスという有名な著作家がいました。彼はギリシア人の大切な神殿であるデルフォイ神殿に深く関わり、そこで神託を受けることを人々に勧めていた人物です。彼はこう書いています。
プラトンが言うように人間は…天から生まれたものである。
わたしも…神のもとから追放され流浪する者。…魂は、〔天上の〕何という名誉から、どれほど大きな幸福からこの地へと移住してきたのか、何も覚えておらず、何も思い出さないため、その後、大波の打ち寄せる島で、プラトンの言う「牡蠣(かき)のように」〔魂が〕身体に縛り付けられているのだ。
ギリシア文化の隅々にプラトンの考えが行き渡っていることがわかります。
3. プロティノス:新プラトン主義
プラトンの教えは、陰府の世界を通って天に至る道を説くもので、その過程は複雑です。しかも多神教的でした。初期の教会のクリスチャンにとっては受け入れ難いものだったでしょう。
ところが紀元3世紀に転機が訪れます。エジプト出身でローマで活躍したプロティノスがそれまでと異なるプラトン主義を唱えたのです。その特徴は、
1 多神教的であったプラトン哲学を、「一者」から万物が発出、あるいは流出するという一神教に近いものとしました。
2 思想自体も体系化しました。
3 プロティノスは、この「一者」なる神を愛し、真っ直ぐ見つめ(直視、直観)、神と一つとなる(合一)という神秘的体験を重視し、それをエクスタシスと呼びました。プロティノス以前は、「エクスタシスは魂が肉体から離れたときに成就する」と考える傾向があったのですが、プロティノスは、自分が生きているうちにそれ求めることを大切にしました。
プロティノスが提唱したこの新プラトン主義は、キリスト教に近づいたため、教会に入り込みやすくなったのです。
4. アウグスティヌス
実際、4世紀後半のミラノでは、新プラトン主義はクリスチャンの間で、信仰を説明するために人気がありました。
そのミラノに教師として赴任したのが、後に北アフリカの司教となり、西方の社会と神学に大きな影響を与えることになるアウグスティヌスです。彼はここで、新プラトン主義と出会い、その影響を強く受けました。そして、本来は異質なキリスト教と新プラトン主義がアウグスティヌスの内側で一体となり、矛盾を感じないまでになっていったのです。
人間観
たとえばアウグスティヌスは、「人間は、動物にはない理性的な魂がある。その魂が肉体に注入されて人間となった。そして、肉体は魂に比べて低級だ」と述べています。これは、典型的なプラトン主義の人間観であり、聖書の人間観とは違います(詳しくは『創世紀2:7の意味』参照)。
世界観
アウグスティヌスの人間観がプラトン的なため、生き方も、被造世界への見方も同様になります。アウグスティヌスは「地上のことは軽んずべきであり、そこから遠のくことによって神に向かうことが最善だ」と語ります。これは、まさにソクラテスが勧めたことと同じです。(聖書が似たメッセージを語っていると思われる箇所については『この世のものではない、寄留者、上にあるものを求めよ』参照。)
また、プロティノスは生きている間にも神を見つめ神と一つとなることを「エクスタシス」と呼んで重視しましたが、アウグスティヌスはそれを「コンテンプラティオ」(瞑想)と呼んで大切にしました。
終末観
では、アウグスティヌスは、終末に関してどのように考えていたのでしょう。アウグスティヌスは、新天新地に言及するのですが、最後に被造世界はアウグスティヌスの意識から消えていきます。その不思議な現象を解く鍵となるのが「神の直視(直観)」と「神がすべてとなる」という二つの言葉です。
「神の直視(直観)」は新プラトン主義の最大の目標です。「神がすべてとなられる」という言葉は、アウグスティヌスにとっては、神ご自身が生命、健康、食物、富、栄光、栄誉、平和、その他あらゆる善きものとなるという意味で、神を見るときに、そのすべてが満たされるのだと語ります。プロティヌスのように、アウグスティヌスにとっても、神の直視と神との一体こそが人の究極の幸福であり、最終目標なのです。キリスト教会は、後にこれを「至福直観」(Beatific Vision)と呼んで今に至っています。
神を直視すると、神がすべてとなるので、被造世界は神の向こう側に隠れるように、あるいは神の内側に包み込まれるようにして、アウグスティヌスの意識から消えていきます。アウグスティヌスの新天新地は、実際は天も地もない、神だけの世界であり、プラトンの天国と変わらない世界となるのです。
「神を直視すると、神がすべてとなる。」この考え方によって、アウグスティヌスの終末論は、神秘主義的な新プラトン主義となり、「人は天に帰る」こととなりました。
聖書を固く信じていたアウグスティヌスは、聖書の教えのすぐ外側に、プラトンの「天から来て、天に帰る」を置くことによって、異質の二つ教えを統合したのです。
5. ダンテ:「天国か地獄か」
興味深いことに、中世の後半になるともう一つの終末論がヨーロッパに生まれます。ダンテ・アリギエーリは13世紀末から14世紀初頭に『神曲』を書きました。そこに描かれている天国と地獄は、一世紀のギリシア詩人ウェルギリウスと二世紀前半の新約聖書外典『ペテロの黙示録』の影響を受けていると言われています。そして、『神曲』以降、数多くの文学が「天国と地獄」をテーマにしてヨーロッパに生まれていきます。そして、「天国か地獄か」という二者択一の信仰が中世ヨーロッパに定着していきました。
ヴァチカンのシスティーナ礼拝堂の天井にはミケランジェロによる『最後の審判』(1541年完成)が描かれていますが、それは、天国と地獄の絵図です。そこにはアウグスティヌスが触れた新天新地はありません。アウグスティヌスが強調した、「一者なる神を直視し、神と合一する」という新プラトン主義的な神秘主義さえも描かれていません。ひたすら天国か地獄かというギリシア的な二元論に逆行してしまったのです。
こうして中世後半のヨーロッパのカトリック世界には、ギリシア哲学の影響を受けた二つの終末論が出揃うことになります。共通しているは、両者とも「天から来て、天に帰る」というものです。
6. フィチーノ:ルネサンス新プラトン主義
では、プロテスタントはどうでしょう。それを探るには、宗教改革前夜の様子に触れなければなりません。
プラトンを含む多くのギリシアの古典がルネサンスによってヨーロッパに導入されます。イタリアのメディチ家が始めたプラトン・アカデミーの指導者フィチーノはプラトンとプロティノスの著作を精力的に翻訳・研究し、ヨーロッパ知識人に紹介していきます。
フィチーノは、プラトン哲学とキリスト教信仰は矛盾せず、むしろ補い合うと論じました。その考え方はヨーロッパ全体に広がり、新プラトン主義の未曾有の普及をもたらします。そしてそれはルネサンス・新プラトン主義と呼ばれるほどの運動となりました。これが宗教改革の前夜の状況です。宗教改革者に影響を与えなかったとは考えにくいでしょう。
7. カルヴァン
ルネサンス・新プラトン主義の影響を受けたと考えられる改革者の一人がカルヴァンです。カルヴァンは「人間は魂と肉体とから成っていてその霊は不死である」と語ります。
被造世界に関しては、カルヴァンは注解書では世界の完成や新天新地に言及するのですが、やはり、「地上は卑しむべきもの」で、「この世を軽んじ」なければならないと述べています。当然ながら、クリスチャンの生活については「地のことに固着し、それに注いでいた眼を、天に向け始める」、ついに死後には「天上の生命を継」ぎ「キリストとのまったき結合に導かれる」と語ります。非常に新プラトン主義的です。
注目すべきことに、晩年の『キリスト教綱要』最終版でカルヴァンはこう語ります。
最高善というものについて、むかし哲学者は憂(うれい)に満ちて論議をかわし、さらに言い争いもした。しかし、プラトンを例外として、何びとも、人間の最高善が神との結合にあることを認めなかった。だが、これがいかなるものであるかという段になると、プラトンでも、おぼろげな味わいすら経験することができなかった。…ところがわれわれは…唯一の、また完全な幸いを知らされているのである。(3:25:2)
ここで確認されるのは、カルヴァンは被造世界の完成を述べながらも、最終的には、人は天に行き、神と神秘的に結合するという新プラトン主義的な理想を掲げている点です。そして、プラトンの理想を実現できるのはキリスト教だとさえいうのです。カルヴァンはアウグスティヌスを継いでいると言えるでしょう。
まとめ
「人は天から来て、天に帰る。肉体と世界は卑しむべきもの。」
本エッセイでは、この考え方が古代のギリシア思想から来ていることを見てきました。
また、同じギリシア的な「天に帰る」でも、二種類あることも確認しました。一つは、ダンテが広めた「天国か地獄か」という二者択一的な考えで、新天新地に触れることさえありません。もう一つは、アウグスティヌスによる神秘主義的、新プラトン主義的なもので、それは「新天新地の完成の後に、最終的に天に行って神だけを見つめ、神と一つになる(至福直観)」という思想です。
カトリックもプロテスタントも、現代に至るまで、この二種類の思想に変化はなく、主流のままです(最新の「カトリック教会の教え」では多少の変化があります)。
もちろん、このギリシア的な思想に疑問を持つ人々が起こりました。特に20世紀後半からは、「人は地上で造られ、永遠に地を治める」という理解が広がりました。そしてその動きは21世紀に入って加速しています。詳しくは、拙論『包括的福音理解を求めて』をご覧ください。
補記
「人は地上で造られ、地上を永遠に治める」という聖書全体の流れの要約は『福音の広さ、深さを(3)』をご覧ください。
「人は天に帰り、被造世界は消滅する」と述べていると考えられてきた、「ハデス、パラダイス、アブラハムの懐」、「天地は消え去ります」、「国籍は天に」、「天の故郷」、「父の家には」などの新約聖書の箇所、並びに、人は天に帰ることを旧約聖書も述べているとされる四つの箇所(「旧約聖書も『人は天に帰る』?」に関しては以下のページの各エッセイをご覧ください。「エッセイ」
アウグスティヌスが神秘的な神との結合の根拠とした聖書箇所に関して、不十分ながら考察したエッセイがあります。「至福直観?」参照。
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