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思い出シリーズ3 「ルーツを探る」

更新日:2023年11月5日


(以下は、2020年秋にフェイスブックに投稿したものです。)


*ルーツを探る1*


1997年の夏、私は妻に追い出されるようにして、チェルトナム市の大学の研究室に通うようになった。私は自分の福音理解に疑問を持ち、悩んでいた。過去の色々な出来事が心に引っかかっていた。


1991年ごろだったと思う。フィリピンのマニラで、信仰熱心なドクターたちが貧しい地域で無料のクリニックを開いていた。しかし、そのクリニックは間もなく閉じられた。改心者があまり起こされないという理由だった。地域での必要はまだまだあっただろうに。何かが気になった。


1995年ごろ、イギリスに来る少し前のアメリカでのこと。ある牧師会に出席した。和やかで真実な会話がなされていてよい印象を受けたのだが、一つ気になることがあった。それは、その日の議題の一つ「フレンドシップ伝道」だ。


 ニューイングランド(アメリカ北東部)は、19世紀にはすぐれた宣教師を多く輩出した信仰熱心な地域だったが、その後、世俗化が急に進み、今は伝道の困難な地域となっていた。苦労している先生方は、「やはり、まず人と友達になることがより効果的ではないか」という話しだった。しかし、主イエスが人の友となったのは、伝道のための効果的な手段だったからだろうか。


*ルーツを探る2*


1996年。イギリスに来て間もなく、出席教会を探していて、チェルトナム市にある福音的な国教会の礼拝に出席した。大きく古い教会堂で、若い人も大勢集っていた。パイプオルガンの奏楽で始まり、途中がコンテンポラリー、最後は再びオーソドックスな音楽で終わる。なかなかよいと思った。優秀な説教者がきちんとした釈義をして説教をしていた。この教会なら集えるかもしれないと期待した。


 ところが、最後に配られたチェックシートを見て意外に思った。デボーションをしているか、キリスト教の良書を読んでいるか、私生活での良い行い、集会出席、奉仕、伝道、献金のチェックリストだった。思い起こせば、アメリカでも同じだった。聖書のどこから語っても同じ適用になる。


 キリスト教は、デボーション、私生活、そして教会堂という三つの壁の内側に留まっていて、その壁を超えないようにしているかのようだった。


 伝道だけが大切なことで、その他の全てが、愛も友情さえも、伝道のための手段となる。クリスチャンらしさは私生活と教会堂の中だけで求められ、教会堂の外のあり方は、明確な指針がないため、一般の人々と同じ価値観やライフスタイルになる。


 これはどこかがおかしいと思うのだが、どこがおかしいかが分からない。「イエス・キリストの救いは個人の罪を赦し、魂を天国に送るもの。被造世界は結局消えて無くなる」のだから、永遠の価値があるのは救霊だけだ。誠実に働いても、心を込めて家事育児に励み、良い芸術を産み出し、社会や環境の問題に取り組んでも、証しになれば多少の価値はあるが、それ自体に究極的な意味は見出せない。


 私は出口を探してもがいていた。


*ルーツを探る 3*


 大学の研究室に通うようになって、私は新しい視点と出会った。「神のご計画は、罪によって歪んだ世界を、本来の非常に良かったものに回復し、完成すること」というものだ(Nの思い出ポロポロ 27)。聖書を読み進めるうちに確信を深めていった。以前は、「霊的に」解釈しなければならなかった旧約聖書のいろいろな箇所を文字通り読んでいけるのも面白い変化と発見だった。


 すると、次第に、目が、私生活と教会堂の壁を超えて、社会に、そして世界に向かう。愛も友情も手段だとは思わない。社会正義を求め環境を守るのも、それ自体に意味と永遠の価値が出てくる。美しい絵画や音楽も、伝道集会のための人寄せではなく、それ自体に意味があり、心から楽しめることになる。個人主義を乗り越え、本来の共同体を目指そうと思う。一人一人の職業に興味が出てくる。


 妻にはこのことが、直感的に最初から見えていた。聖書を読めば、そうとしか読めないあたりまえのことだった。そして、今や、世界の福音派の指導者たちが表明している。ところが、私にはまったく見えなかった。聖書にはっきり書かれてあるものが見えないとはいったいどうしたことだろう。


 では、私が理解していたキリスト教、「霊魂が天から来て、天に帰る。被造世界は消滅する」という考えは、一体どこからきたのか。歴史は全くの素人ながら、そのルーツを探りたいと思った。


*ルーツを探る 4 ギリシア哲学と古代教会*


 教会はその歴史の初めから古代ギリシアの哲学と戦ってきた。ギリシア哲学と一口に言っても、様々な思想があり、その関連も複雑だ。時代によって変化もしてきた。しかし、教会にとって脅威となったギリシア思想は、大まかに言うと次のようなものだった。


 「良い神が良い霊魂を造った。悪い神が悪い物質を造った。良い霊魂は、今は悪い肉体と物質世界の中に閉じ込められている。そこで、霊魂にとっての救いは、そこから解放されて天に帰り、良い神と一体となることである。」簡単に言えば、「霊魂は天から来て天に帰る。物質世界から逃れて」となる。


 私たちクリスチャンが耳にするギリシア哲学の一つがグノーシス主義だ。初期の教会にとっての最大の論敵だった。


 二世紀末のリヨン市では、次のように語る者が現れた。「この悪い物質世界から逃れる方法がある。それは、我々が教えるグノーシス(知識)だ。」リヨンの司教だったエイレナイオス(140-200年ごろ)は、それに対し「救いを与える真の知識はイエス・キリストである。世界は神が良いものとして造られたので、救いはそこから逃げることではない。イエスは、最後に世界を『再統合』する、すなわち、回復し完成する」と反駁した。


 また、グノーシス主義者は「神であるイエス・キリストが、悪い肉体をまとうはずがない。そのように見えただけだ」という仮現説を唱えた。教会は「イエスは確かに人となられた」と反論した。


 やはり二世紀の末。ローマ市の教会で使われていた洗礼式文がある。受洗希望者は、死後天へ行くことを信じるか、とは問われず、次のように聞かれた。「あなたはキリスト・イエスが、…生ける者と死ねる者を審くために来ることを信じますか。あなたは、…身体のよみがえりを信じますか。」ネロ帝などによる迫害を通ったローマ市のクリスチャンが命をかけて告白したのは、天国に行ける確信ではなく、イエスの再臨と体のよみがえりだった。


381年、全教会が一致してニケア=コンスタンチノープル信条を採択した。その信条も、天に行くことには触れず、主は「栄光のうちに再び来て、生きている人と死んだ人とをさばかれます。その支配は終わることがありません。…私は…死人の復活と来たるべき世のいのちを待ち望みます」と告白している。


 古代の教会にとっての救いとは、ギリシア哲学が言うように霊魂が天に逃げることではなかった。主イエスが天から地上に来て、私たちが肉体をもって地上によみがえり、主とともに地上でいつまでも支配することだったのだ。


 では、その後の教会は、どのようになっていくのだろう。


*ルーツを探る5 東方教会*


 最初、教会は一つだったが、ラテン語を使うローマ教区と、ギリシア語を使う他の教区の間に溝ができてくる。ローマ教区は西方教会(ローマ・カトリック教会)、その他の教区は東方教会(今のギリシア正教、ロシア正教など)と呼ばれるようになる。東方教会は当時から今に至るまで、次のように信じている。


 「キリストの再臨は…全被造世界の最終的変貌をもたらすものである。教会は、この再臨を待ち望んでいる。その時、被造世界の中心であり主である人類は、罪と死によって歪んでしまう以前の本来の像に回復される。この回復は肉体の復活を意味する。なぜなら人間は、霊だけでなく霊肉一体の存在であり、肉体なしには必然的に不完全だからである。」(東方教会の神学者ジャン・メイエンドルフ)


 古代教会とそれに続く東方教会は、ギリシア哲学と戦って、神が造られたこの世界が完成することを「救い」とした。最後には人が天に行くのではなく、神が地上に来て、人は神と共に世界の中心にいる。それが永遠に続く。それが永遠のいのちだ。


 では、西方教会はいつ、どのように、「死んだら天国」というギリシア的な考えになってしまったのだろう。その疑問に対する一つの答えは、アウグスティヌス(354-430)である。


*ルーツを探る6 アウグスティヌス*


 アウグスティヌスは、西方教会の最も偉大な神学者と呼ばれる。神の恵みを強調し、原罪の教理を確立した。ギリシア的な異端とも戦った。たとえば、世界を悪とする教えに対しては、創世記1:31から、世界は大変良いものとして造られたと反論した。「霊魂が肉体から逃れて天に行くのが救いだ」という教えに対しては、肉体の復活を説いた。しかし、どれほど偉大な神学者も、誤りから完全に免れることはできない。


 アウグスティヌスは、当時流行していた新プラトン主義というギリシア哲学に深く影響されていた。そのため、「救いは天上で神と一つとなること」という教えから、どうしても自由になれなかった。否、それだけではなく、被造世界を「侮蔑し、背を向ける」べきものとしていた。


 かといって、聖書を信じるアウグスティヌスは、肉体の復活を否定できず、世界が消滅するとも言えない。そこで彼はギリシアの神話と哲学からヒントを得て、斬新な教理を編み出した。「クリスチャンは復活した肉体をもって天に行く」、「神が世界を内包する」というものだ。その結果、人が天の神のもとに肉体をもって行くときには、神が人にとってすべてとなり、世界は人の意識の中から消えていくのである。アウグスティヌスは、これが聖書と矛盾しているとは感じなかった。


*ルーツを探る7 プロテスタント*


 アウグスティヌスの教えは、後代のカトリック教会が引き継いだ。「信仰のみ、聖書のみ」と言う点ではカトリックに抗議したプロテスタントも、この新プラトン主義的な終末論は引き継いだ。それだけではない。ルネサンスによってプラトン主義がヨーロッパに復活し、広く受け入れられたため、宗教改革者のカルバンは次のように言った。「プラトンが願っていたが出来なかった最も善いこと。それは、天上で神と一つとなることだ。それを実現できるのは、キリスト教である。」そして彼は肉体召天の教理を述べる。偉大なカルバンも無謬ではない。時代の制約を受けていたのだ。


 カトリックと一部のプロテスタントの正式な教えは、「世界は地上で完成する。人は天上で完成する」というアウグスティヌスのものだ。この二重の完成の教理は、聖書とプラトン主義のみごとな融合とも言える。しかし、私たち多くの信徒が信じているのは、これよりもさらにプラトン主義に近い。「私たちは天から来た霊魂で、肉体から逃れて天に帰り、そこで永遠を過ごす。悪い物質世界は消えてなくなる。」


 教会の正式な教えも、一般の信徒の理解も、「人は天に行き、物質世界とは無関係になる」というギリシア的な理解では共通している。もちろん聖書の教えは、「神が地上に来て、神と人が被造世界を永遠に治める」ことだ。


*ルーツを探る8 創世記2:7にみる人間観*


 アウグスティヌスが、いかにも新プラトン主義的な解釈をしている例がある。人に吹き入れられる「いのちの息」(創2:7)を霊魂とした点だ。


 しかし、聖書では、「息」は神から与えられる「命」を表し、霊魂ではない。そのため聖書では、いのちの息は動物にも与えられている。


 人は、土から造られ、息(命)を与えられて生きるものとなった。それは、土を耕し、大地とともに生きるためだった。その息(命)が人や動物から取られて、神のもとに戻される時、人も動物も死んで土に帰る。だから、人にとっての救いは、肉体をもって地上によみがえることとなる。


 しかし、ギリシア哲学では、人は天から来た霊魂で、今は悪しき肉体と物質世界に囚われてしまっている。だから、そこから逃れて、天に帰るのが救いとなる。


 聖書とギリシア哲学は何と違うことか。


 ギリシア哲学のような信仰を持つと、この世界から逃げていくことが最終目標となる。この世界は天国行きの待合室だ。すると、どこか逃げ腰になり、腹を据えてこの世界の課題に取り組もうとは思えないのではないか。しかし、聖書によれば、人は、「非常に良」く造られたこの世界を任せられた者だ。だから、あくまでも、いつまでもこの世界と向き合う。この信仰の違いは、今の生き方に違いを生まないだろうか・・・。


(この投稿の「息」に関する聖書箇所は、『神のご計画』p.9参照)


*ルーツを探る 9 聖書解釈の枠組み*


 アウグスティヌスによる創世記2:7の解釈は、典型的な例だ。私も、かつてはギリシア的な見方をいつの間にか身につけ、その枠組みで聖書を解釈していた。そのため、


 旧約聖書の「霊」は、人間の一つの側面や命を表すのだが、「霊魂」だと思っていた。

 ノアの箱船は地上での再出発の話しなのに、なぜか天国行きの型としていた。

 主の祈りの中で、「御国を来らせ給え」と祈っても、「御国に行かせ給え」と感じていた。

 「国籍は天にある」のだから、天に行くのを待ち望むのだと考えていて、「そこ(天)から主イエス・キリストが救い主として来られるのを、私たちは待ち望んでいます」という直後の箇所を真剣に捉えていなかった。

 ペテロが待ち望んでいたのは、天地が新たにされることだったのだが、天地が消滅することだと解釈していた。

 新しいエルサレムが天から下り、神とキリストが地上に住まわれるという箇所を読むと、その地上は要するに天国のことなのだ、とさえ考えていた。


 妻には見えていたものが、私に見えなかった理由がここにあった。「初めにギリシア的な枠組みありき」だったのである。


 しかし、プロテスタントが受けた影響は、ギリシア哲学だけではない。もう一つ大きな問題がある。それは啓蒙思想だ。



*ルーツを探る 10 啓蒙思想*


1648年、ヨーロッパ中央部を荒廃させた三十年戦争が終わった。それは、カトリックとプロテスタントの宗教戦争だったが、王や領主の権力闘争が複雑に関係していた。その後、神聖ローマ帝国では、王や領主の権力が増した。宗教戦争にうんざりした王侯貴族らは、盛んになってきていた啓蒙思想を取り入れていき、「教会が我々の政治に口を出すのをやめさせよう。客観的な我々の理性が最善の政治判断をくだせるのだ」と考えていった。


 理性絶対の考え方は、次第に市民の間にも広がり、人々は教会と聖書の権威を否定していった。教会もそれに同調して自粛し、公の世界を「俗」として下に見つつ、そこから身を引いていった。そして、霊性・私生活・教会堂という、「聖」なる世界の中に閉じこもっていったのである。


 また、啓蒙主義の「個」と「理性」の強調は、カトリックよりもプロテスタントに強く影響を与えていった。プロテスタントは西洋社会と同様に、個人主義的となり、共同体が崩壊し、知性偏重となっていく。


*ルーツを探る 11 コプト教会*


2016年7月18日。日本聖書協会の総主事と私は、招きを受けて、日本初のコプト正教会の開所式に出席した。コプト正教会は、451年のカルケドン公会議を拒んだ教会の一つで、西方にも東方にも属さない教会だ。1500年間もカトリック教会から異端とされていたが、最近、誤解が解けたのだという(誤解が解けるスパンが長い!)。


 日本の教会はシドニー教区に属するので、シドニーから来たダニエル司教が司式した。開所式に先立ち、ダニエル司教が聖書協会を訪ねてくださった。実に優しく温和な方で、父親を思わせる愛と包容力を感じた。開所式でもみなが家族のようだった。エジプトでイスラム過激派により日曜礼拝中の教会が爆破されて多くの死傷者が出た時には、翌日には赦しの宣言を公にしたという。イエスの命令に従って、愛の共同体を形成し、愛と赦しを実践することが教会の中心にあることが伝わってきた。


 開所式では、英語で書かれた簡単な教理問答集が渡された。司祭の一人がその背景を説明してくれた。


 エジプトから多くのコプト正教徒が労働者としてオーストラリアに来るようになったので、シドニーに教会が設立された。すると、オーストラリア人から何を信じているのかと頻繁に聞かれるようになり、それに答えるために初めて作ったのだという。テーマごとに信じている内容を言葉にしてまとめること、つまり教義学の営みをしてこなかったのだろうか。していたとしても、ほんの一握りの神学者だけだったのだろう。


 中世カトリックのスコラ学も、ルネサンスも、啓蒙思想も経験しなかった教会。「自分たちは初代教会そのままを受け継いでいる」と言っていた。


 五百年にわたって細部の神学論争に明け暮れ、分派を繰り返してきた私たちプロテスタント。イエスに従って、暖かい愛の実践を第一とすることは、もうできないのだろうか・・・。


*ルーツを探る 12 『ケープタウン決意表明』


 プロテスタントは、ギリシア哲学と啓蒙主義の影響を、強く、深く受けた。そして、そのマイナス面を乗り越えようと過去数百年の間、苦闘してきた。科学と理性によらなければ神存在も聖書の史実性も証明できない、あるいは、知的理解に偏りすぎるといった啓蒙思想の流れのなかで、何とかキリスト教信仰を保とう、生きた信仰を保とうとしてきた。いわゆる「リベラリズム」も「新正統主義」も、また、神秘主義や敬虔主義も、そしてもちろん、根本主義も、その努力の一つの現れだ。福音派にとっての集大成は、『ケープタウン決意表明』だと思う(Nの思い出ポロポロ34)。


 この表明は、私がイギリスで出会った「創造の回復」という視点で貫かれていて、悔い改めと実践を強くうながしている。私自身、読むうちに、何度も悔い改めの祈りを献げた。世界の教会がこれに学び、悔い改め、実践していったならば、教会の刷新にとどまらず、世界に影響を与えていくだろう。


 また、東方教会の方々からは、「西方教会はギリシア思想に負けてしまった。特にプロテスタントはプラトン主義的で、世俗化した」と見られている。しかし、この「決意表明」を実践していけば、その見方を変えていただけると思う。


*ルーツを探る 13 本の紹介*


『神のご計画』

 ただし、『ケープタウン決意表明』を一読しただけで、その背後にある聖書理解を捉えるのは難しい。凝縮されているので、表現が難解なのだ。「聖書を読む会」が2020年2月に出版した『神のご計画』は、薄い小冊子で分かりやすく、創世記から黙示録までの流れを追いながら、『ケープタウン決意表明』と同じ「創造の回復」という聖書理解を述べている。何度か読んでいくと、そこにある一筋の流れが浮かび上がってくると思うのでお試しいただきたい。


『救いの基礎・改訂版』

 それを伝道用聖研の形にしたのが『救いの基礎・改訂版』だ。これは、国内外で用いられ、多くの方々が救いに導かれている。この手引を使って救われた80代の女性は「まだまだ、やることがあるのですね」と語ったという。人生が天国行きの待合室でないことを最初から理解して信仰生活をスタートできるのは、幸いなことだと思う。



『わが故郷 天にあらず』*


 ケープタウン決意表明は、短い表明であるし、真摯な反省の書でもあるので致し方ないのだが、日々の生活の具体的な例や、楽しい面は表現されていない。ファッションや食事、芸術、そして遊びも含め、この視点で生きるということを美しく、楽しく描いている本がある。それは、拙訳『わが故郷、天にあらず』(ポール・マーシャル、ことば社)で、2019年に三刷りとなり入手可能となった。


 この原書は私が大変気に入った本で、妻からは訳してほしいと言われていた。翻訳は大変な作業なので躊躇していたのだが、決断したいきさつがある。


2000年のことだったと思う。「主により頼み、愛情を込めてなす家事育児は永遠の価値がある」と、ある教会の婦人会で話したときだった。ご婦人が近づいてきて、「私は出て行って伝道するわけではないので二流のクリスチャンだと思っていました。そうではないのですね」と感謝を表してくれた。このように感じている方々が日本中にいるならば、この本を訳してお役に立ちたいと思ったのだ。



 今は、他にも同じ視点で書かれた著書、訳書が、キリスト教書店にいくつも並ぶようになった。16年前にフィリピンから帰国したときには想像すらできなかったことだ。今後もますますこの視点が広がり、私たちクリスチャンの生き方が生き生きとして楽しく、そして社会に変化をもたらすものになることを夢見ている。


次回からは最後のシリーズ「同僚を知る」です。)





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