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執筆者の写真島先 克臣

旧約聖書も「人は天に帰る」?

更新日:2023年8月4日


旧約聖書を貫いている教えは、人間は死ぬと天に帰るのではなく、土に帰るというものです(エッセイ『旧約聖書の「死」』参照)。ところが、旧約聖書には「人は死ぬと天に帰る」と告げている箇所がの四箇所あると言われています。果たして、そのそれは本当でしょうか。

I エノクとエリヤのケース

 四つのうち、最初の二つはエノクとエリヤのケースです。第二列王記2章1節には


主がエリヤを竜巻に乗せて天に上げようとされたときのこと、エリヤはエリシャを連れてギルガルから出て行った。


とあります。これだけを読むと、エリヤは天国に行くように見えます。しかし、まったく同じヘブライ語が使われている士師記20章40節にはこうあります。


のろしが煙の柱となって町から上り始めた。ベニヤミンがうしろを振り向くと、見よ、町全体が煙となって天に上っていた


 つまり、「天」と訳されるシャマイムは「空」とも訳せる言葉なのです。この箇所に関しては、広く使われているアンカー・イェール聖書辞典でこのように書かれています。


アブラハム、モーセ、ダビデといった偉大な英雄であろうと、人の普通の運命は、死であり、よみ、つまり地下の世界で休む事であった(創25・7—9、申34・6、I列2・10、なお使2・29—34参照)。唯一の例外は、エノクとエリヤであり、創世記5:24の「神は彼を取られた」という意味は、「ギルガメッシュのウトゥナピシュティムやホメロスのメネラウスの場合のように、この地上のある特別な地方へ」移されたという事だろう。…エリヤは、このケースに当てはまると思われ、II列王記2:11の『天』は、旧約聖書の他の無数の箇所のように単純に『空』を意味したかも知れない。[1]


この二人のケースとも、死後に天に上ったと断言できません。もし万が一そうだとしても、霊魂と肉体は分離していません。旧約聖書にそのような発想はないのです。しかも、この二件は特殊なケースであり、原則とはなりません。


II 伝道者の書

 では、残りの二箇所を見てみましょう。それは伝道者の書にあります。伝道者の書3:21と12:7は、私が知る限り、改革者の時代から「人は死ぬと天に帰る」ことを示す箇所だとされてきました。


A 伝道者の書3:21

 3:21にはこうあります。


だれが知っているだろうか。

人の子らの霊(ルアハ)は上に昇り、

獣の霊(ルアハ)は地の下に降(お)りて行くのを。


 ここで「霊」と訳されたヘブライ語はルアハです。果たしてこの節は本当に、「人の霊魂は天に帰る」というプラトン主義的な考えを述べているのでしょうか。そうではないと思います。理由は次のとおりです。


 第一に、もしこの「霊」がギリシア的な霊魂を指すのなら、獣にも霊魂があると認めなければならず、自己矛盾に陥ります。ギリシア思想では、霊魂は人間だけのもので、決して動物にはないからです。


 第二に、旧約聖書では、風、息、霊、魂などと訳されるこの「ルアハ」という言葉にはギリシア的な霊魂という意味はありません。ですから、旧約聖書の中でこの箇所だけが突然ギリシア的な霊魂を意味することはありえません。


 第三に、文脈です。直前の19節と20節にはこう記されています。


19 なぜなら、人の子の結末と獣の結末は同じ結末だからだ。これも死ねば、あれも死に、両方とも同じ息(ルアハ)を持つ。それでは、人は獣にまさっているのか。まさってはいない。すべては空しいからだ。

20 すべては同じ所に行く。すべてのものは土のちりから出て、すべてのものは土のちりに帰る。


 この19節と20節で伝道者が主張しているのは、人は獣にまさっておらず、人も獣も同じ「命の息」(ルアハ)を持っていて、それが取り去られると、人も獣も死んで同じように土に帰る、と言う内容です。

 伝道者がそれほど強調していることが、次の21節で逆転するのはおかしくはないでしょうか。命の息が取られると、動物も人も土に帰ると強調していたのに、次の節では、人だけが天に帰るとなってしまいます。21節をそのように解釈するのは、文脈上無理があると言えます。


 最後、第四は、訳語です。ここで注目しなければならない重要なことは、19節で「息」と訳されたヘブライ語はルアハであり、21節では、同じルアハを「霊」と訳している点です。訳語を使い分けたために、21節になると突然、人は天に帰る、という反対の結論になるわけです。

 ヘブライ語では19節と21節は同じルアハで、七〇人訳ギリシア語旧約聖書でも「プネウマ」という同じ訳語をあてています。ところが、ヴルガタ聖書では、19節は「spirant」、すなわち「息」、21節は「spiritus」、すなわち「霊」と訳し分られています。そして、この訳し分けがその後の翻訳に影響を与え、現代でも、訳し分けられている翻訳聖書が多くあります。

 つまりどういうことでしょうか。19節と20節では、人も獣も同じ息を持ち、死後は同じ所に行くと言っているのに、21節になると、「人の霊魂だけが天に昇る」と解釈されてきたのですが、その理由は、同じヘブライ語の単語を訳し分けたためではないかと思われるのです。

 もし、直前の19節と同じように、21節のルアハも同じ訳語をあてて「息」と訳すとどうなるでしょう。21節は次のようになります。


だれが知っているだろうか。

人の子らの息は上に昇り、

獣の息は地の下に降りて行くのを。


 獣の息は、本来は神のもとに昇ります。ところが、21節が想定している読者は、「人は獣よりまさっている」と考えたいので、獣の息は下に降りていくと考えたかったのだと思われます。ノルベルト・ローフィンクは、少し角度を変えた見方をしていて、21節は、「当時の大衆文化にあったプラトン的な霊魂不滅信仰の定型句であった可能性がある」と言います[2]。ところで、プラトンは前4世紀初めに活躍しました。もし伝道者の書の完成した年代を、たとえば、4世紀から3世紀においた場合、ユダヤの地にその影響があったと考えるのは不可能ではないかもしれません。

 どちらにしても、「だれが知っているだろうか」というのは修辞疑問で、期待されている答えは「誰も知らない、そのようなことはない」ということです。つまり21節は、当時の読者の考え方を否定して、19-20節で語ったことを強調しているのです。つまり、21節は、19節から21節までの流れの中でこそ正しく解釈されるのです。そして、その解釈は、旧約聖書全体の教えと一致しています。これは、ロランド・マーフィ[3]、チュン=リオン・スィオ[4]、ノルベルト・ローフィンク[5]などの現代の著名な「伝道者の書」の注解者が述べているとおりです。そうしますと、この箇所は、旧約聖書の人間観が、ギリシア哲学のそれといかに違うかを如実に表していると言えるでしょう。ロランド・マーフィは21節について次のようにも述べています。


この箇所は、霊、魂、不死などと訳されている分類が、ギリシア語とヘブライ語ではいかに異なっているかを示している。[6]


 何百年と続いてきた解釈と違い、現代の釈義によれば、3章21節は「人は獣よりまさっている」という考え方を否定しています。そして、「人も獣も、その命の息が、与え主のもとに引き戻されると、両者とも同じところ、つまり、土に帰る」ということを強調しています。

 残念ながら、優秀な現代の釈義家の意見は、現代の翻訳聖書にさえもあまり受け入れられていません。ギリシア二元論の影響が、五世紀初頭に完成したヴルガータ聖書訳以来、今日にまで続いているようです。


B 伝道者の書12:7

 さて、伝道者の書12:7はどうでしょう。


土のちりは元あったように地に帰り、

霊(ルアハ)はこれを与えた神に帰る。


もうすでにお分かりかと思いますが、「土のちり」とは人間を指し、「霊」と訳されたルアハは、人間の霊魂ではなく、神が与えた命の息を指しています。それは、上記の注解者も同意見です。


C 伝道者の書の結論

 ここでまとめてみましょう。伝道者の書の3:19、21、そして12:7に出てくるルアハは、ギリシア的な霊魂ではなく、「命の息」を意味します。そして、今まで引用した注解者たちのように、その3箇所は同じ訳語、できれば「息」、を充てるのがふさわしいと私は考えます。

      注)上記注解者の訳

スィオ マーフィ ローフィンク

3:19 breath life-breath air

3:21 life-breath life-breath air

12:7 life-breath life-breath air


III まとめ

 以上、旧約聖書の四箇所を見てきました。その四箇所に基づいて、「旧約聖書でも人は死ぬと天に帰る」と主張することは一切できません。

 聖書釈義の原則は、聖書全体を通して繰り返し伝えている教えを重要視し、ごくわずかの箇所に基づいてそれを否定してはならないことです。そして、聖書以外の思想を基盤に解釈してはならないことです。しかし、この話題に関しては、その原則が守られていないようです。

 では、新約聖書に入ると、突然ギリシア的なものに変化するのでしょうか。そのようなことは決してありません。では、逆に、人間は、旧約聖書の通りに死んで葬られ、永遠にそのままなのでしょうか。いえ、それも違います。イエス・キリストにより永遠のいのちが与えられると「死に打ち勝ち、肉体をもって地上によみがえることになる。」それが、新約聖書のメッセージです。



補記

  1. 「人は地上で造られ、地上を永遠に治める」という聖書全体の流れの要約は『福音の広さ、深さを(3)』をご覧ください。

  2. 新約聖書で「人は天に帰り、被造世界は消滅する」と述べていると考えられてきた、「ハデス、パラダイス、アブラハムの懐」、「天地は消え去ります」、「国籍は天に」、「天の故郷」、「父の家には」などの新約聖書の箇所関しては以下の「エッセイ」ページをご覧ください。「エッセイ


[1] "Heaven, Ascent to" in the Anchor Bible Dictionary (Doubleday,1992). [2] Norbert Lohfink, Qoheleth, translated by Sean McEvenue, Continental Commentaries(Fortress Press, 2003)67. [3] Roland Murphy, Ecclesiastes, Word Biblical Commentary Vol. 23A (Thomas Nelson Publishers, 1992), 37. [4] Choon-Leong Seow, Ecclesiastes, The Anchor Bible Vol. 18C (Doubleday, 1997), 176. [5] 前掲書. [6] 前掲書.

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