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環境破壊の元凶はキリスト教?

更新日:3月25日



 近年、環境破壊の原因はキリスト教と言われてきました。確かに、現在でもかなりの数のクリスチャンが環境問題に無関心なだけでなく、北米では多くのクリスチャンが環境保護政策に反対さえしています。ヨーロッパでは、キリスト教は地球に有害な宗教と考えている若者が多くいます。ですから、この批判に対しては、謙虚に耳を傾ける必要があるでしょう。

 

 その背景はいろいろあると思いますが、思想的な面に限れば、プラトン主義の影響があると私は考えています。


 プラトンは、


理性的な霊魂が天で造られ、地上に落とされ、不幸にも肉体に縛られてしまった。だから人の救いは、霊魂が肉体を離れて天に帰ることだ


と述べ、それが西洋社会に深く浸透していきました。では、このギリシア思想が環境問題にどのように影響を与えるのでしょうか?私は二つの面があると思います。


1. 人間だけに霊魂がある

 プラトン主義の影響を受けた西洋の社会と教会の一部では、人間にだけ理性的な霊魂が与えられていると考えてきました。それゆえ、人間だけが特別、別格で、上に立つ者として、知性を使って物質世界を支配できる、と考えたのです。


 新プラトン主義の影響を強く受けたアウグスティヌスが、その根拠としてあげたのが創世紀2:7です。アウグスティヌスは、その箇所を「霊魂が肉体に注入されて人となった」箇所としました。しかし、ヘブライ語本文が伝えているのは、「命の息がアダムに吹き込まれて、すでに人であったアダムが生きるものとされた」ということです。この息は動物にも与えられ、動物を生かしています。つまり、2:7の息は人間だけに与えられた霊魂ではないのです(詳しくはエッセイ『創世紀2:7の意味』参照)。


 この息を霊魂と考え、「人間だけが理性的な霊魂を持つ存在である」と理解した影響は非常に大きいと考えられます。

 本来は、


1 人と動物は同じ土から作られ、同じ命の息を与えられた被造物同士であるという出発点からくる謙遜さを持ち

2 人は、動植物に命を支えられ、動植物は森と海に支えられているという創造の恵みを覚えて、被造世界に感謝の念を持ち、

3 その謙遜さと感謝の念を持ちつつ、他の被造世界を愛し、働きかけ、守り、世話をし、仕えるはずでした。それが神の像に造られた意味でした(詳しくはエッセイ『神の像』参照)。


ところが、「人間だけが理性的な霊魂を持つ尊い存在であって、動物には霊魂はない、動物や植物だけではなく目に見える世界全てが下等な存在だ」とするプラトン主義を受け入れたところから、人間に驕(おご)りが出たのではないかと、私には思えるのです。もちろん、西洋社会の個人主義と知性偏重も、この思想の影響の表れです。


2. 世界は消滅する

 第二番目のプラトン主義の影響は、この世界が消え去ると考えたことです。聖書の語る世界の歴史は一言でいうと以下のように表せるでしょう。


被造世界が神に造られた良きものであり、神がそれを良きものに回復しようとしている。最後には、被造世界を完成させる(新天新地)。


そうであるならば、天地が消滅すると言うことは決してあり得ません(詳細はエッセイ『天地は消え去ります』参照)。

 ところがプラトンは次のように考えました。


霊魂は、下等な目に見える世界に落とされて汚れた肉体に中に囚われてしまった。だから霊魂が天に行き、神と一体となるのが救いである。


これがアウグスティヌスを通してキリスト教に混入してきました(詳しくはエッセイ『「天から来て、天に帰る」のルーツ』)。そして、天で神と一体となった人間にとって、被造世界は意識から消えていきます。その影響を受けて、世界が消滅するという考え方が西洋の教会の一部で広まったのだと考えられます。そして


世界はどうせ燃えて消えるのだから、永遠の救霊の業に比べ、環境保護は最終的には価値がないもの、本音を言えば真剣に取り組めないもの


となったのでしょう。


まとめ

 幸い、欧米では、一般社会でも教会でも、このギリシア思想がもたらした、個人主義、知性偏重、被造世界軽視に対する反省がなされてきています。西洋的な霊肉二元論でもなく、東洋的なアニミズムや汎神論でもない、聖書に基づく人間観と世界観を思索し、それに基づいて行動する時が来ていると思います。その思索と行動の出発点になるのが、聖書が示す大きな物語(エッセイ『福音の全体像』参照)ではないかと思うのです。

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