本ウェブサイトのエッセイの目次です。各エッセイの簡単な紹介をいたします。カッコ内は読了予想時間です。全てのエッセイの元になっているのが 以下の
エッセイ「福音の全体像」(13分)
です。まだお読みでない方は、是非ご一読ください。
「プラトンとの対話」や
「SDGs」関連のこともも
よろしかったら、お読みください。
旧約聖書
天地創造
エッセイ「神の像」(8分)
神は天と地とそれに満ちるものを造り、その後、人間を「神の像」として造りました。神の像とは、古代オリエントでは、「目に見えない神の代わりに、目に見える神の代理人として、地上を治める王」を指しました。つまり、人類は、神から託され、神から与えらえる愛と正義を持って他の被造世界を治めるために造られたのです。
エッセイ「創世紀2:7の意味」(7分)
神は、土から造った人に命の息を吹きかけ、生けるものとしました。プラトン思想は、「人間の本質は天で造られた霊魂であり、それが一時的に肉体に注入された。しかし、やがて天に帰る」と考えています。その思想に影響されたアウグスティヌスは、この命の息を霊魂だと解釈しました。しかし、聖書によれば同じ命の息は動物にも与えられ、動物を生けるものとしています。その息が取られると、動物も人間も土に帰るのです。聖書はギリシア思想とは全く違う人間観を提示しています。
堕落と死
エッセイ「旧約聖書の死」(2分)
アダムとエバは神に背いて、死すべきものとなってしまいました。死後、霊魂が地下世界をさまようという古代オリエントやギリシアの神話と違って、旧約聖書は、人は死ぬと土に帰ると語ります。ここでも、聖書の人間観とギリシア神話との違いが明らかになります。
救いの約束
エッセイ「アブラハムへ語られた祝福の約束」(11分)
神は全世界を祝福に満ちたものとして造られましたが、人間の背きの故に、その祝福が大きく損なわれました。そこで、神は、アブラハムの子孫を通してその祝福を回復しようとされました。その祝福の回復は、最終的には、メシアであるイエスと、信仰によるアブラハムの子孫であるキリスト者によってなされていきます。
エッセイ「旧約聖書も人は天に帰る?」(8分)
旧約聖書では、人間が死後に帰る場は土であって、天国でも地獄でもありません。ところが、旧約聖書でも人が死後に天に行くと考えられている箇所が4つあります。果たしてその4つの箇所は本当にそのように語っているのでしょうか。
新約聖書
エッセイ「『天から来て、天に帰る』のルーツ」(10分)
人は死ぬと土に帰ります。では、「霊魂が死後に天国か地獄へ行く」というギリシア的な思想はいつ、どのようにキリスト教会に入ってきたのでしょう。そのルーツを探ります。
新約聖書には下記三つのエッセイのタイトルにあるような聖書箇所がわずかながらあり、そこから「人は死ぬと天に帰る、あるいは、ハデスやゲヘナに降る」と解釈されてきました。旧約聖書には一才なかった、死後の天国と地獄は、本当にキリスト教の中心的な教えとなったのでしょうか?
エッセイ「国籍は天に、天の故郷、父の家には」(7分)
エッセイ「ハデス、パラダイス、アブラハムの懐」(16分)
エッセイ「ゲヘナ」(13分)
エッセイ「天地は消え去ります」(10分)
旧約聖書には天地が刷新されるという教えはありますが、天地が消滅するとは一切語っていません。では、新約聖書になると天地は消滅することになるのでしょうか。「天地は消え去ります」と訳されたいくつかの箇所は、本当は何を語っているのでしょう?
エッセイ「至福直観」(14分)
新プラトン主義の理想は、天国に行って神だけを見つめて永遠を過ごすことです。それを至福直観と言います。このギリシア思想がキリスト教に混入してしまいました。キリスト教も至福直観を語っている、と言われる箇所は、本当に新プラトン主義の理想と同じものを語っているのでしょうか?
その他
エッセイ「世界観と物語(ストーリー)」(12分)
よく耳にする「世界観」とは何を意味するのでしょう。それが聖書とどのように関わっているのでしょうか。
エッセイ「この世のものではない、寄留者、上にあるものを求めよ」(11分)
新約聖書には、上記のタイトルにあるような勧めがあり、なるべく世のことに思いを向けず、この地上に属さない寄留者として過ごし、天国への旅をするよう勧めているように聞こえる箇所があります。果たしてそれらの箇所は、そのようなメッセージを語っているのでしょうか。文脈を大切にしながら学んでみましょう。
エッセイ「ともに働いて益とする」(8分)
ローマ人への手紙8:28の有名なみ言葉は、私たちが考えている以上に壮大な意味がありそうです。また、義認・聖化・栄化の意味合いも、より共同体的・被造世界的な意味があることがわかってきます。
エッセイ「私の霊感論−翻訳聖書の視点から−」(14分)
第二テモテ3:14-17は聖書の霊感論を語っている箇所とされています。パウロが書き、テモテが読んだ時は、どのような意味を持っていたかを探ります。
エッセイ「内村鑑三の終末観:世界観的回心の体験」(8分)
本エッセイ集の根底にある包括的福音理解は、100年も前に内村鑑三が持っていたものでした。
エッセイ「食について」(4分)
現代に生きる私たちは、世界の動きをどう捉え、生きていったら良いでしょうか。大切な食とエネルギーの問題に関して、考えていることをお分ちします。
Comments